3,未紹介資料「天瑞寺の狩野永徳筆障壁画縮図Jについて用語はあたらないであろう。最後に,関連作品との比較検討を試みたい。「、浪華風景図(浪華城図)J(個人蔵)は近年紹介されるようになった作品。『芳崖先生遺墨大観』(大正10年)によれば芳崖37歳作(元治元年,1864)となるが,本図は「旅中真景図写」の大坂城,天満天神社,天満橋,天王寺,住吉神社などのスケッチを総合的にひとつの作品の中にまとめたものと考えられ,制作年の引き上げが検討されてよい。少なくとも,報告者はこれを,万延2年(1861)の山水長巻模写にはじまる雪舟学習の前に位置付けることも可能ではないかと考える。「東山眺望図」(下関市立美術館所蔵)は,もと長府の呉服商新金の襖絵であったと伝えられる作品で,これまで,「浪華城図」の元治元年説を典拠に,同年頃の制作とされることがあった(注7)。しかし,今「雑画真景写jの第13〜15図に照らせば,本図が安政4年のスケッチに依拠していることは明らかであり,襖絵制作も記憶の新しい安政4年時の帰郷の間とするのが妥当のように思われる。描かれたモチーフも,これまでは画題から類推されるにすぎなかったが,比叡山および東福寺と確認された。さて,今回の調査によって確認された資料の中で,興味深いのは「雑画真景写jの末尾に描かれている京都大徳寺内にある天瑞寺客殿障壁画の縮図である。写生帖の第25〜28図には,まず〔安政4年〕3月21日という日付のあとに「京師於大徳寺」「天瑞寺jとあって,画面を上下に分けてそれぞれに襖絵の縮図が記される。上段の「永徳真跡」とある松の図は次頁に続き都合4頁にわたって連続した図柄を写し取っている〔図3〕。下段は「八重桜永徳真跡桜之図」という書き込みがあって4面の襖を写す〔図3〕。続く2頁の下段には大仙院の元信筆四季花鳥図8面が速写されている(第26図)。第27図の上段は永徳筆松図の続き,下段は同じく永徳筆の「八重桜」4面〔図3〕。第28図は「永徳真跡」とあって,上下段ともに人物図を4面ずつ写し取っている〔図4〕。このうち,大仙院の元信筆四季花鳥図を除いた縮図は,全て今日行方不明となっている天瑞寺の狩野永徳筆障壁画を写し取ったものである。これまで,天瑞寺の永徳画を知る手がかりは,すでに武田恒夫氏によって紹介されている原在正所用の縮図が唯一とされてきたが(注8),ここに新たに芳崖縮図を加えることは永徳研究にとって,587
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