鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ともに立像で皆金色の金泥地蔵金文様である。中尊は右手を垂下させ,左手を胸前に挙げたいわゆる逆手来迎印を結んで、いる。観音・勢至の二菩薩は,合掌している。上部左半分は,湧雲の中に岩山と樹木が表され,菩薩と比正が台座に坐している。王宮から者闇幅山に帰った後,阿難が釈尊の説いた内容を大衆に復説する場面を表しているとされ,釈尊と大日曜連に比定されている。宝冠に化仏をつけ,定印を結んだ、菩薩は皆金色の金泥地裁金文様である。比正は彩色である。制作年代は鎌倉時代13世紀と推定されている(注1)。本図とほぼ同様の図像をもっ作品が奈良市・円照寺に所蔵されている。画面向かつて右端中程に「四明趨寧華筆」と落款があり,i折江省寧波の画家の作と知られる。画風から元時代の作と推定されている(注2)。是陀羅寺本とは王宮の楼閣の位置と構成に違いがあるが,尊像の形制や構成および雲の形,樹木の形態などにおいて一致している。受陀羅寺本は円照寺本と主要な部分での図像が一致するといっていいだろう。しかし,描写表現に関しては全く異なっている。円照寺本は,彩色を主体に金泥は着衣の文様の一部にのみ使われ,抑制的であるが,蔓陀羅寺本の知来や菩薩は肉身より着衣までの全身を金泥彩として裁金文様を置いたいわゆる皆金色であって鎌倉時代後期の阿弥陀聖衆来迎図をはじめ他の仏画にも一般的な表現である。裁金文様も麻の葉繋ぎ・石畳・斜め格子・雷丈など鎌倉時代後期以降に多く用いられる文様で,何種類も組み合わせて精織に施されている。そのせいか蔓陀羅寺本を解説するさいに,いわゆる「宋風j表現について言及しているものはない。円照寺本の尊像は生々しいまでの人間的な表現だが,量陀羅寺本は尊像の体躯が細くなり,相貌も丸顔でなく,細長くのび,穏やかで品格のある仏の表現に変わっている。請来仏画に根ざす主題や図像を見事なまでに和風仏画に変換させている。また,雲の描写表現において彼我の差は際だ、っている。円照寺本は没骨描に描き,外側の輪郭を描かず,湧雲を表現する白色の線描を際だたせ,淡く墨線を添えて躍動感と立体感を表現している。是陀羅寺本は,淡墨の線描によって勾勤し,これに白色を隈のように添えている。墨線が目立ちすぎて柔らかな雲を感じさせず,堅く白い岩のような表現になっている。中国画の没骨描を十分に理解出来ずに表面的な模倣に留まった日本人画家の受容の態様と描写技法が窺われる。593

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