鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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の収束が明らかであることがわかった。いずれも直接の派生ではなく,何らかの介在作例があったことは予測されるが,ここで,これらの二作例から想定されるその祖本の図様には,以下の三つの特徴を指摘することができる。まず第ーには,承久本とのモチーフの近似である。承久本は,既述のごとく,諸本中現存最古の作例であり,未完ではあるものの,根本縁起と称され,多くの副次的モチーフを加えて50cm余の紙幅の画面を大規模に構成する,文字通りの大作である。現存諸本の系譜は,承久元年(1219)頃の制作と見られるこの承久本にはじまり,本研究において,やはり実見調査を行うことのできたメトロポリタン本,託宣利生記のみの北野本地本といった作例を経て,弘安元年(1278)頃の作である弘安本の出現以降,より簡略,明断な図様による転写本の量産期に入って行くのだが,それらのいわば前一中期の諸本ではすでに,承久本に見られる多数のモチーフ群を大きく省略している。ところが,スベンサ一本,杉谷本には,その成立は承久本以後二百余年を経ているにもかかわらず,そうしたモチーフの一部が,明らかに踏襲されているのである。例えば,「柘棺天神」の段〔図l〕のスベンサ一本の図様は,菅公の霊が尊意僧正を訪問する場と,尊意との会話中に柘棺の実を妻戸に吐きかける場を,池を聞に配して左右に描いており,承久本の構図がそのまま受け継がれているのみでなく,松の生えた池の中島,水禽など,細かな要素までが一致している。むしろ水禽の数などはスベンサ一本の方が多くなっていることがわかるが,他諸本ではこれらの要素はみな略され,また弘安本系図様などでは,訪問の場が省略されて,この場面の左半分のみが描かれるようになる。また,承久本においてとくに特徴的であるとされる日蔵の六道巡歴の描写についても,例えば杉谷本には,大政威徳天宮などの場面の描写があるほか,修羅道の表現〔図2〕において,阿修羅王や人面の楯の描写に,やはり他本にない,承久本との明らかな共通点が見出されるし,承久本が未完に残した託宣記以降の白描下絵部分に関して,さらに細かなモチーフをあげるならば,「社殿建立」の段中,材木を曳く人夫らの描き方〔図3〕の中で,一香後ろの人物を後ろ向きの坊主頭に描くスベンサ一本の表現は,承久本の残存する下絵の描写と一致している。これは,承久本下絵との近接が指摘されるメトロポリタン本,北野本地本にも見られないものである。しかしながら,他方,これら両本には,承久本とは場面構成そのものにおいて相違のある場面〔図4〕も存在する。絵巻の冒頭,承久本は,菅原邸門前の風景から,邸600

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