鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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葉に,彼を抱き上げてたいへんに喜び,その後大切に育てた,という内容である。承久本以下,三本はいずれもこれと同様の詞書を持っている。そこで,この詞書と絵との対応関係に注意して見てみると,スベンサ一本,杉谷本の絵に見られる三つの場の描写は,実は,この詞文にあらわされた「出会い」「抱擁」「養育」の三つの内容をそのまま逐次的に絵画化したものであることがわかる。むしろ承久本は,詞にはない導入部の情景をいろいろと描いているものの,それら三つの場の一つを選んで描いたものと見ることができる。第三の,他諸本にない段の絵画化についても同様のことが言える。それらの段は,縁起丈の内容としてはもともと存在しているもので,スペンサ一本や杉谷本がそうした場面を絵画化しているのは,実際には,より詞書に則したものであると言えるのである。すなわち,以上のことから,スベンサ一本,杉谷本の祖本は,承久本と接点を持ち得た作例で,しかも絵画化の基本姿勢としては,承久本以上に原典の詞文に忠実であったと言うことができる。このように,図様派生の研究においては,一作品のみでは何の論拠ともなりえないものが,密接な関連を有する別の作例が揃うことで,その祖本の存在が確信され,またそれらの画面上の様々な共通要素の中に,図様の踏襲と変更の過程を考察するに当たっての重要な鍵が見出されるようにもなる。スペンサ一本と杉谷本もまた,そうした意味で,現在失われた祖本の想定に関して互いに補完しあう関係にあると言えるが,これらの二作例には,さらにもう一つ,興味深いことがある。それは,「恩賜御衣」と「送友後集」の二場面における両本の表現〔図5〕である。「思賜御衣」は,京の都から遥か筑紫に流された菅公が,その諦所において都での栄華を想い,涙にくれつつ作詩をするという場面である。そして,その菅公が友人紀長谷雄に自らの著作集(『菅家後集』)を送ったのが,次段「送友後集Jである。この場面には,後集を聞いて「天に仰き,地に伏して」嘆く京の長谷雄邸の様子が描かれる。ところが,スベンサ一本と杉谷本においてこれらの二場面は,いずれにおいても一場面しか絵画化されていない。しかも,両本の画面はよく近似しているにもかかわらず,スペンサ一本ではそれが「恩賜御衣」として扱われ,杉谷本では「送友後集」として配置されているのである。その部分の詞と絵の繋ぎ方をわかりやすく示してみると,次のようになる。つ山ハU

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