を区別して表している。では,スベンサ一本,杉谷本は,いかなる理由によって三場面を混同し,それぞれに一場面としてしまったのだろうか。先行の祖本がどのような作例であったとき,こうした錯誤が起こってくるのか。おそらくこの錯誤は,両本のもともとの祖本においてではなく,そこから両本に至る聞の介在本において生じたものであろう。前述のごとく,これらの祖本は,詞文に対してきわめて忠実であり,また逐次的であるところから,そうした誤りを犯すとは考えにくい。しかし,その祖本の図様がもし,現状の承久本の「御衣」のように,樹木や秋草を細部まで描き入れ,鮮やかな彩色を施したものでなく,淡彩か,もしくは白描の,さらに言えば,下絵のようなものであったならどうであろうか。現在承久本に遺される白描下絵〔図7〕を見てもわかるように,下絵や草稿画の画面では,人物はある程度まで表現されるが,建物や樹木の線は,ごく大まかに形態線を与えるのみに留められることが多い。現状の承久本の完成画面における「御衣Jと「後集」の三場面は,現状では確かに全く趣を異にしているが,建物や樹木の配置,構図の大きな輪郭線については,両図は実際に共通要素を多く持っており,各々の下絵を想定してみると,近似したものとなることがわかるのである。ここでのスベンサ一本,杉谷本の祖本も,例えばそのような画面であったならば,介在本が,三つの場面を,あたかも同場面を描いた二図のように混同してしまったとしても不思議で、はない。スペンサ一本のこの画面の,右下の門の表現は,縦材と横材のみの木組みを描いたかのようになっている。これは,承久本の「御衣」の図の,朽ちた冠木門から来るもののようにも見えるが,実は,スベンサ一本はこれ以外の場面においても,同様の組み物のような門や建物を描いている。そしてその表現は,承久本下絵に見られる,大まかな直線の構成と近似しているのである。さらに,杉谷本の全段にわたる画面表現を見てみると,建物や調度の表現において,それらを構成する直線を交差させ,空間としてはあり得ないような描き方がなされていることがわかる。「幼少詩作」の段〔図8〕にはこれが顕著に現れている。杉谷本は,その作風が「稚気に富んだ」(注4)と評される通り,確かに表現には幾分稚拙さの見られる作例である。だが,人物や樹木,あるいは画中画の表現などには,形態の表現力と,かたちを写し取ろうとする筆致の丁寧さが感じられ,なぜ、建物に関してこれ程に錯綜した表現をとったものかは不可解に思われる。しかし,もしもその祖本が下絵604
元のページ ../index.html#614