鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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のような作例であって,建物が大まかな形態線のみで描かれていたとしたら,そしてあるいは,介在本の存在によってさらに状況が悪化したとすれば,縁と襖,床と門が同一平面上にあるかのような画面表現が生じたことにも納得が行くのである。杉谷本は,「病床時平j〔図9〕においてはさらに,敷畳と床の線を妻子縁の線と捉え,時平の後ろの扉風を御簾に変えて,図のような奇妙な場面を構成している。こうした図の発生は,通常の完成画面を範とした場合には,起こり得ないものではないだろうか。スベンサ一本や杉谷本を含めて,十五世紀以降,地方の天神社に奉納された作例は,それ以前の中央作のものに比して,やはり素朴な味わいを持つものが多く,筆致の上でも巧みであるとは言えない。だが,逆にそれ故にこそ,そうした作例は,自社草創謹などの絵画化の場合を除いて,先行の画面に対し,自ら変更を加えることをあまりしない。複雑なモチーフを省略してしまったり,人物を描き落としたりといったことはあったとしても,基本的には作画の技術の問題もあって,転写に忠実にならざるを得ないのである。スベンサ一本の組み物のような建物や,杉谷本の奇妙な建物の描き方は,単なる「写し崩れ」や「描き変えjの結果とは解釈できない。それらはおそらく,両作例の画家が,苦心して「写した」結果なのではないだろうか。そして,とくにそれらが人物ではなく建物であるという点に,範となったものが下絵であった可能性が指摘できるのである。さて,この「御衣」と「後集」の二段から見出されることがもう一つある。それは,両本における詞書の区切りの問題である。先に示したように,スベンサ一本はこの場面を「思賜御衣」と捉え,杉谷本は「送友後集」としているため,絵の配置は両本で異なっているが,結果として,スベンサ一本では「送友後集」と「祈天拝山J,杉谷本では「配流海路」と「恩賜御衣」の詞が二段連続してしまっている。だが,本来連続するものではないこれら二段の調書は,両本のいずれにおいても,聞に紙継等がなく書写されているのである。これはつまり,この部分が両本の錯簡ではないことを示している。無論このことだけでは,両本が依拠した原本,ないしその先行作において錯簡が生じていた結果とも解釈することができるが,両本は,その他の諸段においても,詞書の区切りに差を生じている。例えば,「行幸密議」と「時平呪誼」の段において,スペンサ一本では「行幸密議」を「詩宴ありけるに両皇並に后宮も御衣をぬきてそか605

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