鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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nhu nU つけ給ひける栄躍ならひなく侍しに左大臣の気色そ例にすこしかはりしjと結んで次段の「時平呪誼」を「さる程に密議なりといへとも天もしる地もしる君もしる臣も知年の内に聞て左大臣ねんころに無実を議奏し一一」とはじめているが,杉谷本では「密議」を「一一詩宴ありけるに其日倒(例)禄の上に両皇並に后宮各、御衣をぬきてかつけ給ける」で終わって,続く「呪誼」の段を「さる程に左大臣気色例にすこしそかはりけるかの事密議なりと云とも天も知一一」とはじめている。既述のごとく,これら両本の詞はいずれも建久本の系列にあるものであるが,杉谷本が同系列の承久本に比較的接近しているのに対し,スベンサ一本は建久本の原典に近く,記述には幾分の相違がある。しかし,同じ段構成を持ち,各段の図様において明らかな共通性が認められるこれらの本の間で,こうした詞の区切りの差は生じるものであろうか。ここで注目したいのは,建久本の系列に属する諸本の詞書記述である。例えば承久本の調書は,段によって文の途中で途切れている。この「行幸密議」と「時平呪誼」で承久本は「呪誼」の絵を描かず,二段の詞を連続しているが,その末尾の部分は「一一延喜のひしりのみかとは其時御年十六七はかりにやいとけなくおはしますへきほとなれとjで止まっており,また「任大納言jなども「其年の十月に延喜の御門位につかせたまひて万機を摂録して」と書かれて終わっている。さらに「恩賜御衣」の段の詞冒頭には前段「配流海路」の詞末尾に書かれるべき記述が入り込んでしまっており,「一一又あめのふりけるにあめのしたかくる、人もなけれはやきてしぬれきぬひるよしもなし」(配流海路絵)「此を見きく人涙を流ぬはなかりき抑昌泰三年一一」(恩賜御衣絵)となっている。菅生本など,やはり建久本に基づくと見られる他諸本でも同様に,詞の二段を連続して絵の一場面に対応させる,あるいは文の途中で段を区切るといったことが起こっている。このような現象は,調と絵の対応関係が確立されていないことを意味するものと考えられる。詞と絵を段落式に繋ぎ,その対応を明確にした先行本によった場合,錯簡の生じた作例を挟んで、錯誤が生じることはあっても,こうしたことは起こらない。つまり,建久本を詞の祖本とする作例においては,その制作時に詞と絵が対応関係になかった,すなわち,調と絵の範本は別々に存在し,段を追って制作者自ら詞と絵を対応させながら,絵巻を作ったということが想定できるのである。スベンサ一本,杉谷本における詞の区切りの問題は,あるいはその直接の範本から

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