にJnhu ⑭ 工ル・グレコ作〈ラオコーン〉再考研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程(シカゴ大学大学院人文学部美術史学科博士課程休学中)はじめにワシントン,ナショナルギャラリー所蔵の〈ラオコーン〉〔図l〕は,もっぱら宗教画と肖像画を描いたエル・グレコが手がけた現存する唯一の異教主題である。とりわけそれは,厳格で禁欲的なカトリック教会の統制が敷かれた当時のスペインにあって,市井のー画家が制作した裸体表現を含む神話画であるという点で稀有な作例である。そうした時代背景を鑑みて従来の研究は,異教挿話の裏に隠されたキリスト教的メッセージを読み取ることで,画家のこの大胆な試みに説明を与えようとしてきた(注1)。しかしながら,エル・グレコが美術の理論的側面に関心を抱き,画家・理論家のフランシスコ・パチェコが証言したように「絵画,彫刻,建築について著述したjことが,新資料の発見によって再認識されるようになった今,〈ラオコーン〉の重要性は別の意味において高まったと言えよう(注2)。というのは,そこに描かれた悲劇のトロイアの神官父子の肉体は,長年エル・グレコが追求してきた人体表現の集大成とも言えるものであり,作品全体は彼が若年期から堅持してきた美術上の信念の表明だと考えられるからである。このことについてはすでに別の場所で取り上げたためここでは詳述を避けるが,簡潔に述べるならば,エル・グレコは1つには彫刻に対する絵画の優位性を,2つ目には近代美術,すなわち彼の同時代の美術による古代美術の超越を信じていた。そして古代美術の偉大さの証として崇拝されていたヴァチカンの古代彫刻〈ラオコーン群像〉〔図2〕と同じ主題を絵画で表すことによって,そのことを証明しようとしたと思われるのである(注3)。筆者はこれまで,〈ラオコーン〉についてのこうした見解を保持じてきた。しかし諸芸術聞の優位論争(パラゴーネ)の文脈を強調するあまり,ややもするとエル・グレコと彫刻との関係を否定的に捉えすぎていたように思われる。画家エル・グレコが当時のパラゴーネに対して絵画優位の立場を貫いていたとしても,他方で彼自身が数は少ないとしても彫刻作品を残しており,かなり早い時期から彫刻に対する関心を抱いていたことを絵画作品が示しているという事実は看過出来ない。そこで本稿では,彫松原典子
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