鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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おわりに以上,エル・グレコの絵画作品に認められる彫刻からの影響と絵画制作における小型彫刻の利用について略述してきた。そこから導き出されるのは,エル・グレコの彫刻に対する関心は,一般に考えられているよりも,そしてまた筆者自身が以前に考えていたよりも,ず、っと強く継続的なものであっただろうということである。ただしその関心はイタリア時代を除いては古代彫刻やルネサンスの巨匠への百従ではなく,それらを充分に研究し尽くした上で我が物とし,全く新しい形で自らの作品に活かしていくという方向へ展開した(注12)。〈ラオコーン〉が絵画の彫刻に対する優位性の表明であるという筆者の考えに変わりはないが,そのためにエル・グレコと彫刻との関わりを過少評価すべきではないだろう。なぜ、ならば,『建築十書』への書き込みの中でエル・グレコは,「私は両方の芸術[筆者注:絵画と彫刻]を愛好してきたから,それほど彫刻に敵対しているようには思われないであろうが…(以下省略)Jと語ってもいるからである(注13)。ただエル・グレコにとって絵画は「形態や色彩などあらゆるものを判断することが出来る唯一のもの」(注14)であった。すなわち絵画は彫刻をも包括する総合的,普遍的芸術であり,それ故に彫刻や建築の上に置かれるのである。こうした考えからすれば,画家が絵画制作過程に小型彫像を取り入れて研究を行ったことは,当然の成り行きであったと言えよう。さて,最後にこれまで見てきたことから〈ラオコーン〉について言えることを簡潔に述べておくとするならば,冒頭に述べた通り〈ラオコーン〉が,エル・グレコが長年にわたって彫刻の研究を通じて追求してきた絵画における人体描写の集大成だということは疑いないであろう。ラオコーンとすでに息絶えた息子の図像源泉については,ラオコーンにはベルガモン祭壇の〈傷ついたガリア人〉(ヴェネツイア考古学博物館)が,息子には同じベルガモンの〈倒れた巨人〉(ナポリ国立博物館)がそれぞれ指摘されている(注15)。しかしいずれも〈キリストの復活〉〔図17〕などの作品に,同ーまたは類似の図像が登場している。蛇と格闘するもう一人の息子も,ここでは身体の反らしが極端化されているものの,腕をあげて天を仰ぐ人物は,エル・グレコの作品の中では見慣れた図像である。右端の〈エピメテウスとパンドラ〉に似たグループも含めて,〈ラオコーン〉に登場する人物はみな,おそらくはアトリエに貯えられていた彫像模型をモデルに描かれたのであろう。しかしながらここにはやはり他のどの作品にも増して,肉体を描くことへの画家のこだわりが感じられる。右側の人物群が未完成621

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