鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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Y王(2) Francisco Pacheco, Arte de la Pintura, Seville, 1649, B. Bassegoda i H昭as(ed.),(3)以下の拙論参照。「エル・グレコの芸術理論と〈ラオコーン〉」『美術史研究J34 (4) エル・グレコとミケランジ、エロについて扱った論文には以下のものがある。Y.Ki-であるためにその印象は実際よりも希薄になっているが,注意深く観察するならば特にラオコーンと死んだ息子の肉体に見られる大胆な短縮法,肉付け,陰影表現は極めて精巧であり,模型を用いて念入りな準備が行われたことが想像される。〈ラオコーン〉は,エル・グレコの晩年に突如として現れた表現上も主題上も極めて異色の作品と捉えられがちである。しかし,彼の絵画が常に彫刻や小型彫像の研究の力を借りて発展してきたことを再評価するならば,その特異性の印象は薄れてくる。〈ラオコーン〉が特異で、あるとすれば,それは彫刻をめぐるエル・グレコの造形的関心と主題的関心が極めて顕著な形で1つの作品のうちに結びついたという点にあると言えよう。そしてその一致を可能ならしめたのはやはり,〈ラオコーン群像〉の高名さに挑戦したいという晩年のエル・グレコの画家魂だ、ったのだろう。(1) これまでに提示されてきた解釈については以下を参照。J.Brown, R. G. Mann, Span-ish Painting of the 15th through 19th Centuries, Washington D. C., 1990, p. 62. Madrid, 1990, p. 537.かつてのエル・グレコの蔵書,ヴァザーリの『美術家列伝』とパルパロ版ウィトルウイウスの『建築十書』が1960年代以降発見され,そこに残された自筆の書き込みから,エル・グレコが他の美術家や諸芸術について抱いていた考えが明らかにされた。ヴァザーリへの書き込みの全トランスクリプトと研究は,以下を参照。X.de Salas, F. Marfas, El Greco y el arte de su tiempo, Ma-drid, 1992.また日本語の文献としては,大高保二郎「エル・グレコのイタリア美術批評」SPAZIO(no. 50) 1994年pp. 8 -28.ウイトルウイウスへの書き込みについては,以下を参照。A.Bustamante, F. Marfas, Las ideas artfsticas de El Greco, Madrid, 1981. (1996) pp. 55-76.また異教的主題ゆえに懸念される教会からの干渉については,この時点ではまだ比較的緩やかであったと筆者は考える。前掲拙論参照のこと。taura,“El Greco y Miguel Angel : Problemas del Dib吋oen El Greco", Archivo Espanol de Arte 270 (1995), pp. 145-164 ; P. Joannides,“El Greco and Michelan--622-

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