つ臼ハhu⑮ ビルマ陶磁について研究者:町田市立博物館学芸員矢島律子町田市立博物館には山田義雄氏によって寄贈された60点余を中心に約80点弱のピルマ陶磁がある。山田義雄氏のピルマ陶磁は1984年にタイとミャンマーの国境付近のターク県メソット地区のE陵地帯で発見された白紬緑彩陶がその大部分を占め,そのほかに,数点の黒柚大壷と青磁大盤がl点含まれている。また,中村三四郎氏寄贈品の中に同種の白紬,緑紬陶と青磁大盤ならびに青磁双耳小壷が数点存在する。比較的数多くのピルマ陶磁を蔵していると言え,このことが当館が蔵している東南アジア陶磁の特色の一つになっている。そのため,当館にとってピルマ陶磁に関する調査研究を進めることは重要な課題といえるだろう。ピルマ陶磁の存在そのものが1984年のメソット発掘以前にはほとんど知られていなかった。その後ほぼ15年が経つ。この間に,長谷部楽爾氏,山崎一雄氏,江崎義理氏らの研究によって,白柏緑彩陶はその紬が錫粕であるという点が他の東アジア陶磁には見られない際立った特徴であることが明らかにされ,同種の柚薬を使ったタイルがパゴーの仏塔に数多く見られることから,ピルマ産であると認識されるようになった(注1)。一方黒紬大壷については,遺例そのものの産地は判明していないものの,現地調査とインドネシア伝世品および出土品調査によるアジャットマン氏の研究以来,ピルマ産であり,いわゆるマルタパン壷の一部であることが知られるようになった(注2)。さらに90年代のミヤンマ一政府の政策転換によって旅行が容易になったため,今井敦氏ら現地を訪れた研究者によってピルマ陶磁に関する情報は少しずつ増加している(注3)。青磁双耳壷はこの間にピルマ産であろうと認識されるようになったものである。わが固におけるピルマ陶磁に対する認識は初歩的段階を出ていない。数種類のピ、ルマ陶磁の存在が知られるようになったが,その産地,焼造形態,年代,他地域との関係といった具体的な姿については把握していない。この状況は欧米諸国の東南アジア陶磁研究者にもあてはまり,ピルマ陶磁に対する認識度は日本以上に低い。例外はオーストラリアのハイン氏であり,また,ミャンマーの研究者自身による調査は思いのほか進んで、いる。ハイン氏はミャンマー研究者とともに調査を行っており,その概略はヤンゴン大学のシンポジウムで述べられている(注4)。より詳しい報告書も,未発
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