表であるがハイン氏によって作成されている。また,ミョー・タン・ティン氏は技法面を中心にピルマ問磁を概説している(注5)。以下では,先年,他の研究者とともにミャンマーを訪れた際の筆者の知見を交えつつ,現時点でのピルマ陶磁研究の状況と課題についてまとめておきたい。1 .ノTガンの陶~~パガンはピルマ年代記によるとその起源が108年にまでさかのぼるが,史実上では849年にピンジャ王によって城壁が築かれたのが始まりとされ,1044年アノーヤター王が即位するとともに中心地となり,1287年元に滅ばされるまで繁栄を誇った。仏教が興隆し,数多くのパゴダが建立され,現在でも2000ほと手のパゴダが残っている。これらのパゴダのうちには,全面あるいは一部を緑粕タイルが覆っていたり,壁面や軒に緑柑および黄紬を使った装飾タイルがはめ込まれているものがある。考古学博物館内にそうしたタイルの一部と陶磁器が陳列されている。建造年の明らかなパゴダからのタイルや緑柏の仏像,緑紬平瓦や丸軒瓦などイム塔関連と思われるもののほかに,印花文の青磁壷,錫緑柑・白粕の壷や瓶,貼花文のある黒柚大壷などが展示されていた。展示されているものがすべてパガン産であるとはいえないであろうが,この地で出土したものである。また考古学研究所で、はパガン旧城内からミンカパ村にかけての一帯で窯跡として数箇所を発掘,保存している。建立年代の明らかなパゴダで施軸タイルの装飾があるものがいくつかある。そうした場合はタイルの焼造年代が推定できる。考古学研究所のマウン・マウン氏の教示によって筆者が実際に訪れたパゴダは10ヵ所ほどに過ぎないが,タイルの使い方や作風は非常に多様であった。最も古いタイル使用の例として案内されたのはナッチユエンナダウというパゴダであった。高い円壇の上に尖塔部分のない,頭頂部の丸い筒形の塔が載ったもので,現在はかなり脱落しているものの表面全体が,緑粕埠で覆われていたものと思われる。塔の形式は確かに他のパゴダとは異なっており,ピュ一時代のもの,との説明を受けた。表面を緑柚で覆ったパゴダとして他にセ・パゴダがあった。11世紀後半の建立とのことで,幾層かの基壇を登ると,丸い鰻頭形からなだらかに尖塔が伸びるものである。この尖塔部分を直方体の緑紬埠で、覆つである。近寄って観察すると緑紬は表面から見える部分にだけかかっている。尖塔部分はなめらかな円錐形を作っているのであるが,緑柑はその円錐に沿う形で、かかっており,各埠ごとに少し630
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