鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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つdベグーはベンガルとマラッカを結ぶ仲介交易港として15〜16世紀は特に発展した。前述したように,メソット出土の白粕緑彩陶と同じ組成の錫鉛柚をつかった装飾タイルがパゴーの仏塔を飾っていたことから,白紬緑彩陶もまたパゴー近辺の産であろうと推測されるようになった。ハイン氏によると,窯跡は発見されていないが,由来由緑彩陶を含む錫紬器物がパゴー近郊で多量に掘り出されたとのことである。また,錫柚の付着した土塊および土塊の付着した埠が,地表と簡単な掘り出しによって発見された箇所があったという。筆者は,その場所を探し当てることはできなかった。パインナウン王(1551〜1581)の王宮とされる遺跡に隣接して建てられているパゴ一博物館にはその遺跡の祉出土遺物が展示されており,緑粕や白柏の平瓦や蓮弁形瓦,錫白粕・緑粕・褐紬を使った装飾タイル,錫白軸・緑粕の壷や碗類,青磁皿・瓶,灰紬印花丈壷や黒粕大壷などが見られた。まさにメソット出土錫柚陶とよく似た土味と粕調の錫紬であり,また青磁は町田市立博物館所蔵の青磁盤や双耳査に通じる作調のもの,黒粕大壷はいわゆるマルタパン壷であった。灰紬印花丈壷は,パガンの考古学博物館でもl例を見たが,壷の作りはいかにも土器風であり,印花文の装飾も土器のそれを思わせる。土器に灰柚がかかったという風情で,言い替えれば,他の器物に見られるような中国的なところがない不思議なものである。製作年代はもとより,パガンで見た例との関係についても検討がつかないが,注目される作であった。仏塔を飾っていたという装飾タイルは縦45cm横30cm強ほどでパガンの装飾タイルよりかなり大きい。この種の装飾タイルは日本にも近年もたらされている。それらもあわせてパゴーの錫軸装飾タイルを見渡すと,縦横の違いがあってもその大きさはほぼ一定しており,作風にも大きな違いはないことに気付く。描かれているのはタイル1枚につき2体ずつの人物像で,婦人立像のほかに,獣頭人身の戦士が多い。像はほとんど丸彫りといえるほどに盛り上がり,動きが激しく,表現は単純で、ある。描かれている内容はパガンのようなジャータカとは異なるようで場面を示す番号や銘文は刻されていない。錫柚の器物にはメソット出土のような丈様を描いたものはほとんどなく,白あるいは緑一色で,側面の中程までしか紬のかかっていない粗い作行のものが多かった。ヤンゴンからパゴーへ伸びる幹線道のほぼ中間地点にラグンピーという集落がある。そこで青磁窯が発見・発掘されたことをハイン氏が報告している。ラグンピーは二つの円を合体させたような,達磨形の城壁が残り,周囲をクリークがめぐる集落である。

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