この城壁の形態はピュ一時代のものという。集落内を歩くうちにも足元に青磁盤片などが落ちているのを目にした。発掘されたという青磁窯はその上部の形から白鳥に見立てられ,漆喰を塗られてパゴダに仕立てられていた。そのためパゴダが倒壊しないように,調査後に下部を埋め戻したということで,筆者が訪れたときには単なるパゴダにすぎなかった。ミョー・タン・ティン氏によると長さ6.51メートルの総煉瓦造りの地上窯で,形はタイの倒炎式窯に近いという。白鳥パゴダを対岸に望む僧院近くの畑で多くの土器片・青磁片・窯体熔着物等が散乱していた。掘り返され撹乱しているが,このあたりにも窯があった可能性を示している。それらの青磁片の土味や柚調は町田市立博物館にある青磁盤のうちの粗製のものや青磁双耳査などに見られる,透明度の強い淡い緑色に近い。ただし,ハイン氏の報告ではより青みの強い上手の粕調の青磁盤も発見されたようである。町田市立博物館の青磁盤には,高台内に円形に残された静止糸切り痕や,高台際にいれられた数条の刻線など,白粕緑彩陶に共通する特徴を持つもの,また高台内に鉄鋳が塗付されたものなどがあるが,こうした特徴も持つ青磁片もこの畑に落ちている陶片の中に見い出すことができた。当館中村コレクションに産地不明として所蔵してきた青磁鉢がl点ある。無文でこれといった特色のない青磁鉢であるが,ただ,無利で高く厚ぼったい作りの高台で,その外円と内円の中心がずれているというのが不思議な特徴である。この畑で見た青磁鉢の高台の作りが同様の特徴を見せていた。ミヤンマーにおいては,ラグンピーの集落がビュー時代に築かれたということから,この地で出土する青磁の年代をもピュ一時代と捉えているようである。当館の所蔵する青磁双耳壷の類はラグンピーから同類が多く出土するためか,ヤンゴンの国立博物館では「8世紀」と表示していた。現在まで集落は続いているのであるから,ラグンピーの城壁が築かれた年代と青磁の生産年代を一致させる必要はなく,集落の古老が話してくれたように,この地は15〜16世紀ごろに焼きものの中心地であったとするのが妥当である。パゴーに白紬緑彩陶を焼いた窯があったかどうかは今だに不明である。しかし,錫粕陶磁の一大消費地であったこと,パインナウン王の時代16世紀後半という時代が白紬緑彩陶生産年代の一部を占めていたことはまちがいなかろう。また,今までわが国では産地不明,あるいは北方タイのどこかの産などとされてきた青磁のいくつかがピルマ問磁であることが判明した。ラグンピー近郊にはまだ、相当数の窯が残っていると634
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