3. トエンテざFった土器の堆積層を見た。ミョー・タン・テイン氏に教示された場所とは違っていされるから今後の調査の進展が期待される。ハイン氏は白紬緑彩陶の窯がある可能性が高い場所としてパゴーを挙げているが,ミョー・タン・ティン氏はパゴーではなくトエンテを考えている。トエンテはヤンゴンの南西十数キロのトエンテ運河沿いにあり,現在でもミャンマーの主要な陶業地の一つである。ミョー・タン・テイン氏はトエンテ周辺で錫白粕・緑粕,青磁,少量だが白粕緑彩陶の向片と窯道具(支柱)を発見しており,このことからトエンテに白粕緑彩陶の窯があると推定している。筆者はトエンテ近郊の運河川岸に,施粕陶片がまたらしく,そこは消費の跡か集積地の跡と思われる。窯道具類は見られなかったが,青磁,錫白紬・緑柚,少量の白紬緑彩陶片,黒柚大壷片,中国産と思われる青磁,ヨーロッパ産と思われる転写絵の軟陶片があった。青磁の中には先述したラグンピー産といわれるような青磁双耳壷や癌牛の人形があったが,大半は粗い刻椋文の入った皿や鉢であった。粕調は淡い緑色である。錫白紬の盤や鉢は紬がやや薄く下の赤い胎土が透けて見えるタイプが多い。このタイプは,メソット出土品の中にも見られるが,見込みに丸い目跡があったり,典型的な白柚・緑柚・緑彩陶の特徴とされる丸い静止糸切痕が高台内になかったりと,やや崩れた調子のものである。白柑緑彩陶の陶片は碗の口縁部で,外側に蓮弁文,内側に格子文が描かれており,作調はていねいで,典型的な白粕緑彩陶といえるものであった。パゴーおよびトエンテで日にすることのできた錫紬は圧倒的に単色柑であり,しかもメソット出土品の多くを占めるような端正な作行のものはほとんどなく,やや調子の崩れたものか,あるいは紬が高台際まで、かかっていない粗雑な作りのものが多かった。パゴー,トエンテ以外にも錫粕陶の窯の存在を考えるべきなのか,メソット出土品との間にある不一致は今後の課題である。また,青磁についても,町田市立博物館にある青磁類がそれぞれ微妙に異なる作行を見せているように,パゴー,ラグンピー,トエンテで見た青磁にも微妙な差があるように感じられたが,その差異を明確に述べることはまだできない。パゴーについては,この地で陶磁生産がおこなわれていたとしても,同時に,一大消費地あるいは集積地であったはずなので,表面採集などで集められた青磁の様相は複雑であろう。635
元のページ ../index.html#645