鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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←647-注(1) 河原徳立「錦様磁器製造所瓢池園之沿革」田中芳男・平山成信『j奥国博覧会参同(2) 同上(3) 農商務省農務局・同省工務局編『繭糸織物陶漆器共進会審査報告』有隣堂明治(4)塩田力蔵「故河原徳立氏略伝J『大日本窯業協会雑誌』第23集第267号大正3年端的な例としては,「正倉院文様」と呼ばれる,非常に特殊な価値を持つ一連の古典文様があげられよう。「正倉院文様jとは正倉院御物に付された文様の総称だが,「シルクロードの終着駅」「天皇の宝庫」「天平文化の華jといったイメージが加わり,明治期から器の文様としてよく用いられてきた〔図4〕。現在では王朝文様や光琳文様などよりも,さらに格の高い文様と位置づけられている。かつて京都の文人画家内海吉堂は,正倉院文様を例に,龍池会や製品画図掛などによる図案制作に対し辛競な批判を行った。此間又古物保存と称するー名義を生出し来たり知るも識らざるも有職々々と唱へ終に瀬戸陶の便器に至るまで正倉院御物中の丈采を描き出すに至れり(注23)本当に便器にまで正倉院文様が施されたのかどうか,私は未だそのような製品を実見していない。これは比輸なのかもしれないが,内海吉堂が言い表したかったのは,高貴な文様を日用の雑器に用いる滑稽さであろう。文様の格と器の格が合致しないことが当時はよくあり,その矯正指導に龍池会や製品画図掛は苦心してきた。その結果,例えば現在一般に女性の第一礼服とされる黒留め袖に正倉院文様が付されるとき,この文様の記号的な意味作用は最も発揮されることになったのである。古典的な文様の意味作用は,現在に至り,ますます強化されつつあるのではなかろうか。これが明治期の図案制作における古典模倣が行き着いた,ひとつの結果なのかもしれない。末筆ながら,本研究を助成してくださった鹿島美術財団と,資料の提供や助言をくださった高木典利氏,森仁史氏,横溝慶子氏に御礼申し上げます。紀要』明治30年18〜19年11月

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