と5丁オであろう〔図1'3〕。パートリニはこの図のために,大々判の紙(33.5cm −縦)を使用して図を折りたたんでいるが,日本には当時折りたたむ本の綴じ方はなかったので,この大々判の図を『解体新書』のサイズにあうように直武は考えなければならなかった。トレースをしても図は大きすぎて,頁におさまらない。そこで直武達が考えたのは,支韓全骨図を半分に切り,4了ウと5丁オをつかうことであった。すると直武は原版の挿図のプロポーションを変える必要もなく,そのままトレースをして,ただ紙の調節だけでよかった訳である。すなわち『解体新書』の4丁ウと5丁オの図をあわせたものが,パートリニの人骨図の原版のサイズである〔図4〕。大変な独創力である。またトレースした原版のパートリニの解剖学書が,銅版であることが容易に見分けられる。直武が銅版と木版の違いを表現できうるのは,画家として優れていたことの証であろう。またここでは,直武はただ、単にパートリニの挿図をトレースするだけではなく,独自の写実描写法を考案している。パートリニのクロスハッチングに対し,直武は点の集中と短線を混合してパートリニ同様の立体感を出しているのだ。結果は大成功である。『解体新書Jの最後の手掌,手背,足背,足蹄、の四枚の挿図は,ピドローのAnatomiaHumani Co中orisからとったものだ。しかしピドローの原図をそのままトレースしでも,『解体新書』に入らない。ピドローの本のサイズ、は50cm×36cmであり,『解体新書』は26cm×16cmである。そこで直武は,ピドローのl枚の図を2枚つづきのページに納め,背景に描かれた,布,箱等を全く排除し,ピドローの図案を45度に置き換えるとか,縦のデザインを横向けにする等といった工夫をなし,ピドローの図を変更することなく,そのまま『解体新書』にトレースしているのだ。構図的にアレンジを仕直した他の例はヴァルヴェルデの扉絵である〔図5〕。ヴァルヴェルデの図は25cm×16cmであり,『解体新書』の扉絵のサイズは2lcm×14.8cmである〔図6〕。横約1cmの違いは下のエジプトモチーフの装飾の横の線と,上の鴨居の横の線を約1cm短縮するだけで,直武はヴァルヴ、ェルデのモチーフを全く変えていなしミ。縦の4cmの違いは,前列のコリント式柱頭をポーチから取り除き,柱の高さを単に短縮するだけで成功している。ここでも,直武はヴアルヴェルデの図案そのものを変更することなく,図案の外観の縦横線を短縮するだけで扉絵をトレースしているのである。細部にいたる変更は,まず中央のヴァルヴェルデのタイトルを日本語で解体図と縦に書き,鴨居に横書きで和蘭翻訳とあり,下方のカツーシュの中は,玄白の書斎名,56 -
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