phu しかし,それなりに西洋銅版画への対抗意識が窺われる。この雰囲気は〈避暑山荘三十六景図〉に似ているところがある。〈避暑山荘三十六景図〉は熱河の離宮を描いた作品で,中国絵画の中に西洋画的手法が組み入れられた,奥行きのある構図を持ち,さらには細かく浅い線を筆のように縦横に走らせ,遠近感や陰影はぎこちなくはあるがそれなりに活かされており,絵画的雰囲気を漂わせている点では,〈線法山東門〉〈湖東線法画〉に共通するものが感じ取れるが,〈国明圏西洋水法図〉より,歴然として中国画(中国版画)と成っている。加えて,〈避暑山荘三十六景図〉には張査という刻者の名前が刻されていることは貴重なことである。次に他の得勝図7種の全体を通して言えることは,先ず全ての画中に,乾隆帝の賛が刻されており,東洋画の特長の一つが持ち込まれている。画面は空間を埋め尽くすようにして,大地には騎馬人物,岩山,木々,竹薮,空には雲,砲煙が装飾的に描きこまれ,絵画的空間は存在せず,そこにあるのは伝うるべき各実証を着実に固定しなければ成らないと言う絵柄となっており,息の詰まる平面的な絵となっている。その平面的な感じを与えるのは,全ての人や物の輪郭を木版画のように単調な太い線で描かれていることや,他の図柄の刻線についても太さと深さがほぼ一定であるためであることと,さらに陰影を表現するための刻線の重ね具合の調整が成功していないことにある。描き手は遠近や陰影を考えているのではあろうが,表現技術が追いついていないと思える。これは得勝図7種に共通していえることである。このことは同時にこれらの作品群が,同一の刻工もしくは同ーの工房の製作である可能性があることを指摘しておきたい。とは言え個々の作品には,個々の持つそれなりの特徴が感じ取れる。例えば〈平定両金川得勝図〉には,光を一方方向からあて陰影を強くし,山深い金川地形を表現し,〈平定台湾得勝図〉には,シナ海の荒波を細い線を幾重にも重ねて造形的に描き,〈平定安南得勝図〉については,騎馬列に特長を持たせ,〈平定雲貴得勝図〉には林立する木々の陰影に特徴を持たせるなどと言う具合にである。その銅版画は,乾隆50年代に集中し以後衰退し,以後これといった中国を特徴付ける銅版画は現れてこない。画院以外つまり民間でもである。それは,中国の銅版画は皇帝の版画であって,民間に流布することが妨げられていたのではないか。それに加えて,銅版画は木版画と異なり,各種の道具や特殊な薬品が必要であったといったことが,中国で広く銅版画が展開されない理由と察せられる。
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