nhU 像Jを御用絵師の最も古いものとして,初代矢野三郎兵衛吉重筆「細川忠利像j,「宇て,17世紀中頃から仕えていた肥後狩野派など御用絵師の作品が当然のこととして多い。2代三斎に仕え,後の矢野派へとつながる雲谷等顔門下の田代等甫筆「細川幽斎治川・ー谷合戦図扉風jを代表例に,細川家歴代肖像画や花鳥山水の障壁画,さらには矢野派中興の祖5代良勝筆になる熊本の長大な風景図「領内名勝図巻jなどが伝わっている。また弟子筋では,杉谷行直筆「犬追物絵巻」をはじめ,杉谷雪樵,赤星閑意ら近代画家の作品も多数伝わる。肥後狩野では,狩野伊圭弘信筆「細川者姫像j,狩野養長筆「牡丹均薬生写」などがある。これらは御用として制作され,細川家に収まったと見でほぼ差し支えないであろう。また,正式な御用絵師ではないが福田太華の残した「蒙古襲来絵詞模本」などの中世絵巻の模本類がいくつか伝わっている。これらは,江戸時代後期の細川家において古画に対する精力的な模本制作を奨励した実態を知るものとして興味深い。これら御用絵師に関しては,おもに熊本県立美術館にて開催された展覧会図録の諸論考に詳しい(注1)。さて,伝来は不詳ながらこの範曙に入れてもよいと思われる大名家に相応しい作品群がある。中でも30点以上確認できる狩野派作品において,江戸狩野が半分近くを占めていることは注目に値する。狩野探幽筆「老子,芦雁,竹鶏図j三幅対,狩野常信筆「寿老人,夏冬山水図j三幅対といった堂々たる作品や常信筆「八景絵鑑j「七十二候」,狩野探雪・探信筆「大和名所・耕作図手鑑」などの豪華画帖は大名家収蔵品にしばしば見られる狩野派作品の典型である。さらに興味深いことには,木挽町狩野家歴代当主の作品が全て揃っていることであり,常信が20人扶持を賜っている事実からも,細川家との関係は浅からぬものがあったようだ。また,森徹山と森一鳳が細川家画員として迎えらたことで伝わる作品を数点認めることができるが(注2),伝来不詳ながらも大幅の森徹山「孔雀図jなどは,細川家から直接注文された作品と見てよいだろう。以上,狩野派(木挽町狩野家)そして森派と細川家との関係については,今後,さらなる調査を必要とする。さて,永青文庫に伝わる熊本藩政史資料は2万点を超え,熊本大学附属図書館の編纂した『細川家旧記・古文書目録正篇Jにまとめられている(注3)。もっともそれ2.細川膏慈の絵画事業と熊本藩政史資料に見る収蔵絵画の推移
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