鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
67/759

オLている。しかし一番大きな構図変更はアダムのポーズである。ヴァルヴェルデの図オ1てきた。極端にいえば十二単衣にみる美とヴィーナスにみる美の違いである。間接天真楼を書いている。ヴァルヴェルデもこの個所に自分の名前を書いている。そして上の中央の家紋の内部をイルカに置き換え,竜がl匹描かれている。当時イルカはよくモチーフとして使用されていたので,直武はどこからか写し取ったのであろう。そして,アダムとイブの立っているベダスタルの中のモチーフが変更されている。ヴアjレヴェルデのオリジナルは,洋風の城が描かれているので,勿論削除された理由が良くわかる。城の代わりに城の上に描かれている鷹の様な鳥のモチーフが,両方に描か案のアダムとイブの手は,タイトルページを紹介するかのように画面の中央に向けてのばしている。しかし,直武はアダムの左の手の位置を内側に向けヴァルヴェルデの図案のバランスをくずしている。これは日本と西洋の風俗習慣の違いであろう。当時として,ヌードの絵を見せるだけでも大変なことなのに,本の扉絵として使用するということは,儒学道徳観念のいきわたっていた当時の日本では,勇気のいる決断だったと考えられる。ヌードを使用することは当時としては論争の的であったことは違いない。日本人は西洋人のようにヌードを美化する教育はされていない。ヌードを芸術ととる鑑賞習慣は勿論江戸時代にはなかったはずで、ある。西洋ではギリシャ,ローマの時代から人聞の完全美は,均整の取れたヌードで表現されてきたが,日本では,外面的美よりも,内面的,間接的な美の表現が高く評価されてきた。解剖学的に完全に表現された肉体美よりも,日本では内面から出てくる精神的なもの,ひかえめの表現技巧を尊んだ。日本最初のモニュメント彫刻像といえば仏像である。仏像に肉体的美の表現を見るものはいない。仏像の外面表現を超越して出てくる,無形の美,精神的なものに美を見イ寸けるのが日本であろう。平安時代から,露骨な表現よりも,モデストな表現が好ま的な表現が秀美とされてきた習慣が,和歌,俳句といった文化を生んだのも一つの理由であろう。だから野に咲く可憐な小花に比輸して語る女性のイメージの方が効果的である。そのような社会環境に置かれていた玄白のグループが,ヌードの絵を『解体来丹書Jに使うことを決定したのは,当時としては勇気のいったことであろう。まして,f肢が底本としたクルムスの解剖書には,ヌードの扉絵は使われていない。また『解体新書Jの挿図で気がつくことは,肉のある人体と骸骨になった人体を直武は意識的に区別をつけていることである。肉のある人体には,直武は陰影をつけて-57-

元のページ  ../index.html#67

このブックを見る