nhu nu 風9点という点数の少なさを見ても,収蔵品を網羅しているとはいえない。らの中で蔵帳などの収蔵品目録に類するものは決して多くない。さらには,それら目録類の中でも翻刻などにより公刊された資料は極一部であり,全貌は明らかではない。よって本報告において,細川家の長い歴史の中でも絵画に関心の高かった10代膏窓口759〜1835)の時代に対象を絞り,その絵画事業を辿るとともに興味深い資料をいくつか取り上げて以下に紹介する。また,それら資料から伝来,蒐集,譲渡などの推移を読み取り,さらには永青文庫の所蔵作品との照らし合わせも試みる。なお,所蔵先を記さない作品は,永青文庫所蔵品である。宝暦9年(1759)肥後国宇土支藩細川興文の二男として生まれた膏藷は,幼名を輿松,後に立曜と名乗る。安永元年(1772)に宇土藩主となるが,29歳になった天明7年(1787),熊本藩9代治年が残することで遺領を相続し10代藩主となり,6月に初入国,翌寛政元年(1789)に初参勤している。以後,法令どおり文化7年(1810)52歳で隠居するまで在府在国l年交代の生活を送ることになる。まず,膏京以前から伝来した作品を把握するために,「御家名物之大概Jに触れておく必要があるだろう。これは18世紀に成立したとされる細川家の正史『綿考輯録』に組み込まれたもので,既に翻刻されている(注4)。武具や茶道具とともに,「御掛物j「御扉風」の項目があり,伝来の経緯や逸話,そして当時の評価などを知ることができる。「雪舟富士絵J(伝雪舟筆「富士三保清見寺図J)など4点が所蔵品と合致するが,「名物」という性格上からか,当代の狩野派作品などは記されておらず,掛物7点,扉それを多少補うことのできる資料として「御先祖様御伝来之御品々/坤御櫓入目録」を紹介する。文政9年(1826)の年紀のある『箪笥入目録』に記載され,扉風12点が記録されている。元信をはじめ土佐,雪村,常信,周信などの作品が見られ,細川家に伝来していた扉風の所蔵記録となっている。しかし,実際には他の櫓にも納まるものもあったであろうし,掛軸,絵巻,画帖などに関する記録を見出せていないので,収蔵品の全貌を把握するには不充分と言わざるを得ない。これら数少ない資料ではあるが,伝来した収蔵品の傾向を推測するならば,雪舟をはじめとする禅宗絵画,そして所蔵品と合致する作品は認められないものの漢画系は狩野派,大和絵系では土佐派が多くを占めているようだ。もっとも御用絵師の作品は,名物や伝来品として扱われていないともいえる。さて,治世下(天明7年(1787)〜文化9年(1812))における膏姦の絵画事業に注
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