円J中Phu 氏Uる。絵画に注目すると,親族と分家筋には主に御用絵師の掛幅が,大名家へは,細川長門守(矢田部藩細川興徳)へ狩野洞自筆「寿老人,梅竹」三幅対,松平渓山へ伊川院筆「栄鷹」二幅対,松平安芸守へ晴川院筆「瀧に鯉,耕作」三幅対,岩城伊予守へ洞白筆「鶴」二幅対などというように狩野派(江戸狩野)の掛幅を贈っている。この資料から形見分の具体例と,姻戚関係や交流関係に対応した贈物を定めていたことが分かる。さらに代々伝わったものではなく,当代の作品を主に形見分していた点は興味深く,それらは費姦コレクションと言えなくもないであろう(注10)。さて,ここで所蔵品の中から狩野伊川院筆「百鳥図jに注目したい。この大幅は,添状によると膏姦より下賜され,明治時代に召し上げられたものであるという。本資料には記録されていないので,別の理由で下賜されたものと考えられるが,このようにかなり作品の譲渡(形見分,下賜)が行われていたことを知る好例といえよう。また,天保9年(1838)の年紀のある『二ノ丸御物松井典瞳殿被引渡候御道具帳』を紹介する。本資料は,用人職にあった松井典曜の立会いのもと,前藩主賓慈の居館であった二ノ丸屋敷に収蔵されていた御物(掛物,茶道具類)を藩の茶道方へ引き渡し,藩の御道具蔵へ収めた時の記録である。林良,牧諮,巴紀,沈南頭など膏慈の蒐集した中国絵画と古法眼(元信),探幽,周信,晴川院,司馬江漢などの作品が見られる。ここで注目すべきは,谷文晃筆「東海道勝景」である。永青文庫に所蔵される「東海道勝景J(紙本著色,一巻)は,箱書きから文晃筆とされ,その詳細な内容は既に報告した(注11)。そして新たに本資料の中に五番入/一査軸東海道勝景文晃筆の記録を見い出すことができた。すなわち谷文晃筆「東海道勝景」が,天保9年の時点で既に細川家の所蔵するところとなっていたことを確認できたのである。当時,文晃は存命中であることから作品の信頼性は高いものとなり,さらには,膏惑が残するとともに二ノ丸から移動したという事実も膏姦の極身近にある収蔵品(斉慈コレクシヨン)として扱われていたことを意味している。さらには,江戸時代後期の収蔵品を知る手掛かりとして,明治20年(1887)にまとめられた『御賓蔵入御品々附Jをあげる。膏玄蒐集の中国絵画の他に伝雪舟筆「富士三保清見寺図」,「北野天神絵巻」,「秋の夜長物語」,狩野常信筆「寿老人・夏冬山水図」「八景絵鑑J「七十二候図」,「珍禽奇獣図jなど,永青文庫所蔵品の原型といえる作品
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