Y王(1) 『肥後の近世絵画』(1979年),『永青文庫の扉風絵』(1984年),『細川御用絵師・矢(2) 『季刊永青文庫』第34号(1990年)『祝福された四季一近世日本絵画の諸相』千葉(3) 昭和34年に細川家の菩提寺である妙解寺跡(北岡旧邸)にあった細川家の倉庫をた事実や,熊本藩の学者,堀平太左衛門との交流も注目される(注13)。また,前述したように寛政5年(1793)に膏藷が江戸へ持参した「蒙古襲来絵調jを定信が模写させていることや(注14),さらには,斉惑の事績を記した書物に定信からの贈物にまつわる逸話は載っており興味深い(注15)。このように断片的であるが,江戸において両者は浅からぬ交流のあったことが窺え,定信を介して文晃へ注文をしたと十分に考えられよう(注16)。以上のように,膏哀がどのような目的と経緯によって谷文晃に「東海道勝景」を制作依頼したかを考察した。しかし,現段階では明確に裏付ける資料を見出すことのできないために推測に過ぎない点は否めず,さらなる調査を必要とする。おわりに以上,所蔵品の調査から細川家収蔵の近世絵画の特色を指摘し,熊本藩政史資料の調査により主要目録類を見出した。また断片的ながら膏姦を軸とした江戸時代後期の細川家における近世絵画の伝来,収集,譲渡の実態を明らかにした。さらには近世画壇との関係を探る具体例として,膏姦と谷文晃筆「東海道勝景」の制作背景を考察した。しかし,裏付けるに足りる直接的な資料や事績を見出せずにいる現状であり,今後は日記や書状などを精査していく必要があろう。一方で、,伝存作品と資料を結びつけることの困難さも否めない。しかしその事実は逆に,意外なほどに作品の下賜,形見分などによる譲渡が頻繁になされていたことを物語っている。数々の災難を乗り越えた幸運な作品が多く伝存するとはいえ,絶えず推移のあった事実経過のもと,現在の所蔵品に至っていることを十分に念頭に置いた上で,近世画壇との関係を考察していく必要がある。野派』(1996年),など市美術館1996年熊本大学が整理して作成した目録。藩政史資料を主なものとしたそれら細川家(永-664-
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