鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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2.地質学からの影響の関心の一因として,雲形を分類したしハワード(LukeHoward英1772-1864)の気象学の流布が既に指摘されている(注5)。ドイツの画家達にハワードの気象学を紹介したのはかのゲーテである。その最初の画家フリードリヒが,1816年のゲーテからの雲のスケッチ依頼(注6)をハワードの体系もろとも拒否した一事(注7)のために,従来,ハワードの気象学とフリードリヒの作品との関連の問題は見過ごされてきた感があった。だがフリードリヒの作品を概観すれば,ハワードの気象学に関連する画家たちと同時期に集中する大気のモティーフに,新たな造形的試みがうかがえる点は注目できる。ゲーテがフリードリヒへ向けて提示したハワードの独訳『雲の博物学及び雲の物理学試論j(1815) (注8)は重要な資料である。フリードリヒの1820年前後の作品中,霧や層雲,特に〈ノイプランデンブルク>(1817年頃)〔図3〕の積雲,〈夕べ>(1824年)〔図4〕の巻雲,〈秋の巨人塚>(1820年頃)の雨雲等の描写にハワードの分類に則した形態が現れ,クローズアップされる。その描写は伝統的風景画の踏襲ではなく,諸形態が混在する実景本来の不定形の雲霧や,これを即物的にとらえたダール等の周辺の画家の描写よりも,ハワードの分類の形態的特徴を明確に示している。ハワードの気象学は,フリードリヒにとって無限の象徴である空に浮かび\感情の担い手,ファンタジーの源としての,元来ロマンティックな要素を満たす大気のモティーフに,造形表現においていっそうの豊かさを付与している。こうした博物学(Naturgeschit巴)の影響の可能性を考察するのに一つの示唆を与えてくれたのが,T.ミッチェルによって指摘された,当時のドイツ地質学との関連である(注9)。近代地質学の開祖A.G.ヴェルナー(AbrahamGottlob Werner 1749-1817)は,その理論ゲオグノジー(G巴ognosi巴)において,岩石を構造と形成段階により5つに分類し,大地の生成が全て始原の海の沈殿作用に依るとする水成論(彼の死後まもなく火成論がこれにとって代わる)を唱えた。ミッチェルによれば,この理論がアルプスに基づくフリードリヒの2枚の山岳図に表現されている。すなわち〈高山>(1823-24 頃)〔図5〕はその強調された険しい山頂や斜面によって地球最古の始原岩層(Urge-birge)が表現され,〈ヴアツツマン〉〔図6〕(182425年頃)は,前景に始原岩層としての突出した花岡岩が付加されることで,その上に沈殿した堆積岩層(FlOtzgebirge)668

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