鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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として後方の山地を示している。つまりこの対作品によって始原岩層と堆積岩層という山の基本的な形成の2段階が表されている。そしてミッチェルは自然科学者のG.H.フォン・シューベルト(1780-1860)やカールスを通じて,フリードリヒがヴェルナーの地質学に接した可能性を指摘した(注10)。かつて様式的スランプの時期にあったフリードリヒが,雲の表現において拒否した分類の体系化,法則化を,山地のモティーフにおいてフリードリヒがどれほど意識的,積極的に重視し得たのかの判断は慎重であるべきだが,彼の山岳図とヴェルナーの理論との関連についての新たな発見は,この時期のフリードリヒがこうした博物学的知識の風景画への適用を必ずしもかたくなには拒否しなかったことを示すーっの例証になる。このように18世紀以来の博物学の具体的な知識の恩恵を,フリードリヒが多少なりとも受けていたとするならば,転換期におけるフリードリヒの風景画はすでに触れたダールに特徴的であり,19世紀美術においてますます時代の趨勢になっていく,いわば「即物的な」自然主義に止まらない,自然の構造・形成に則した表現としての「科学的自然主義jともいうべき内容をも暗示している。III.カールスの風景画論自然科学者兼画家であるC.G.カールスは,ライブチヒからドレスデンに移った3年後,1817年にフリードリヒと知り合う。この頃から解剖学等の自然科学研究の面でゲーテとの交際も始まる。カールスはフリードリヒの弟子として,フリードリヒのアトリエに通い,十字架等を象徴的に配し,宗教的情調に満ちた師の画風に極めて近い作品を多数描くことになる。この頃から着手されたカールスの書簡形式による著書『風景画についての9つの書簡』(18日1824)は,カールスがロマン主義者達に共有されていた汎神論的世界観を,フリードリヒの風景画に結びつけて論じたものであり,ロマン主義風景画の基本的理論書とされる。そして,フリードリヒからの影響が濃いのは第l書簡から第5書簡までで,第6書簡以降はむしろ自然科学と結びついたリアリズムを志向する内容として,フリードリヒの風景画とは一線を画するものとされてきた。しかし,これまで述べたように,同時期のフリードリヒの様式転換の主たる内容が,自然主義的傾向を示し,しかも自然科学的な知識を取り入れていることを考えれば,カールスの風景画論の後半の部分との関連を検討する意義は十分にあると思われ669

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