鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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いない。ところが,死んでA骸骨になった人間には例外なく点や短線を加えて陰影をつけ立体感をだそうとしているのだ。まず考えられるのは宗教的な理由であろう。直武はたとえ絵と言えども,人間の形をしている限り魂を尊敬し遠慮したのであろう。仏教では死後皆仏になると教える。仏の魂を傷つけたくなかったのであろうか。儒学では人間の身体は親先祖から戴いたものであるから,髪の毛l本に至るまで粗末にしてはいけないと言う教えがある。叉神道では顔は心の鏡であるという考えがある。いずれにせよ直武は肉体が表現されている限り陰影を避けたのであろう。しかし一旦骸骨状態になると,魂の存在を認めなかったのか直武は自由に陰影をつけている。しかし日本の絵画史を振り返って見ると,昔から人間の顔身体に陰影をつけることを避けてきている。例えば,源氏物語では「引目鈎鼻Jで表現されるように,簡単な線で目鼻を示し個人の個性を表現するのをさけている。叉,狩野派の画法も顔には陰影をつけない。直武は使用したクルムスやヴアルヴェルデの手本から顔,身体に陰影をつける西洋の手法に気がついているはずで、あるから,トレースした際意識的に陰影を顔から排除しているのはやはり日本の伝統を固持した個所であろう。ここで問題になってくるのは,トレース法である。高価な洋書をいためないためには,どのような転写法を用いたのであろうか。和紙を洋書のうえに置き,その上からトレースした場合,紙を通してインクがにじむことが考えられる。叉鉄筆のようなもので洋書の上から回線をとぎれとぎれに引いていくのは,洋書をいためるため使用したとは考えられない。そこでまず考えられるのは,油紙の使用である。代々絵画を写す場合,透き写し(トレース法),揚げ写し(底本の上下に紙を置きたどっていく法),臨模(底本を横において写す法)の三法があるが,形を正しく把らえ正確度の高いのは,初めの二つの方法である(注23)。しかし仏画を多く必要とした平安,鎌倉時代で,もっとも広く使用されたのは,油紙を使用しての透き写しである。この方法であれば,絵をあまり得意としない僧でも絵仏師の力を借りないで写すことが出来た訳である。特に密教図像では,仁和寺蔵の「高僧図像Jに見られるように,油紙を用いて多くの図像をトレースしていた(注24)。文献資料をもって論理的に証明出来ないが,平安時代の技法が江戸時代でもそのまま使用されたことは充分可能である。紙の種類とか,塗布した油がどんなものであったかと多々疑問点があるが,直武も油紙を使用してトレースした可能性は充分ある。他のー案は,鉛筆の使用である。鉛筆は1565年英国で発明され,日本にはオランダ人によって,江戸初期には輸入されている。直武玄白を58

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