きおいフリードリヒの風景画においてそれまで色濃く投影されていた主観的心情や,十字架等の象徴物さえ否定する方向へ向かうのである。「芸術家の内面で,力強い,無際限に互いに交差する大地の生命的活動,つまり大気,海や湖沼や川,いきいきとした固体についてのいっそう深い見方が息づくとき,それによって風景芸術の作品はある特殊な性格,観者の心情に働きかける,新たな固有の効果をもつことになるのではないかjとカールスは続け,風景芸術に対して,従来の風景画という平凡な呼び名の代わりに,「大地の生命の絵画J(Erdlebenbild),「大地の生命の芸術」(Erdlebenbildkunst)という名称、を提唱したのである。風景画家は「眼が自然事物の形象を恋意的な,不確定な,無法則な,つまり無意味なものとしてでなく,神的な原生命により定められたもの,永遠の法則に適うもの,極めて意味深いもとのして把握することjを学び,「特定の山の形をその量塊の内部構造と一致させている関係」や特定の場所の植生,河川や湖沼等の自然の動き,更に「大気現象特有の法則,雲の様々な性質,形成と消滅,運動についてj研究すべきとしている。〈結語〉以上のように見てくると,フリードリヒの1820年前後において,にわかに現実的様相を呈し,自然科学的観点をも摂取した様式転換とカールスの風景画論との接点がことのほか明らかになる。そこには単にモティーフや技法上の表層的なレベルでの影響という点にどどまらず,こうした影響関係を支えるフリードリヒの思想的な根拠として,カールスの理論が重要な意味を帯ぴてくる。しかも,カールスが風景画論の後半においてこのような論を唱える契機となったのが,ゲーテのハワードに基づいた雲研究とそこから生まれた詩であることは,ハワードの気象学を雲の表現に適用したフリードリヒとの関連を考える上で興味深い(注12)。これまでカールスの風景画論は,先に触れたようにロマン主義風景画の基本的理論書として,その前半部分に対してフリードリヒの心情的・主観的芸術からの影響が強調されてきたが,その後半部分においては,ダールとの親近性が指摘されてきた。確かに,ダールは生前よりロマン主義者フリードリヒに対して自然主義者と見なされたが,ダールの自然主義は雲の描写にも見られるように,もっぱら対象を感覚的・視覚的にとらえる。その描写の即物性に,ダールが他の多くの自然主義的傾向をもっ画家と同様に,美術史上の新たな自然主義世代へまたがる画家とされる所以がある。したがって,博物学の「分類化」の視点に-671
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