鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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。。(11) 明治前期の宝物写真については,『日本写真全集9民俗と伝統J小学館昭和62(12) 『写真・今世紀の法隆寺』小学館昭和60年による。現物は閲覧していない。(16) 高田良信「写真で見る明治時代の法隆寺」前掲『写真・今世紀の法隆寺』(19) 「唐招提寺講堂修繕費証恵」(奈良県行政文書明38-2 -12-1 ' 2)。奈良県庁所蔵提寺金堂の写真。年などに詳しい。同四切大の紙焼きが奈良国立文化財研究所に所蔵されており,こちらを閲覧した。(叫このガラス乾板については『酔夢幻影工藤利三郎写真集J奈良市教育委員会平成4年にて一部紹介されており工藤の履歴についても同書に詳しい。乾板の紙焼きは奈良国立文化財研究所に所蔵されている。同このほか,川井景一編『大和国宝帖J大和国宝写真館明治28年にもコロタイプ印刷の古建築の写真が掲載されている。撮影者は大和国宝写真館の長尾希世。制「古社寺修理精算書J(奈良県行政文書明34-24-20-1 ' 2,奈良県立奈良図書館所蔵)同「寺院・法起寺三重塔外修理一件」(奈良県行政文書明302 c 4),「長福寺修繕帳J(奈良国立文化財研究所所蔵)。北村太一は安政3年,長州、|に生まれ,明治18年,奈良猿津池畔にて写真館を開業明治44年に没するまで営業写真家として活動した。大阪桑田商会『月の鏡J大正5年写真のうち,唯一,唐招提寺講堂の内部写真が,『日本精華』掲載写真と一致する(『日本精華』第二輯「大和唐招提寺講堂内部」)。側前掲「寺院・法起寺三重塔外修理一件J例「寄贈品」『建築雑誌』明治28年12月(財団注)掲載された写真については,法隆寺,法起寺,新薬師寺ならびに奈良国立文化財研究所よりそれぞれ許可を頂いております。

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