鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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phu 4Qd 円れ,数条に分かれて両肩に懸かる。胸飾はすべて彫り出しで上下2条となって両肩脇の花飾から胸前に懸かる。このうち上の条は小花を連珠で連ね,下の条は宝石に小花をあしらい,垂飾を付している。管釧は連珠の上下に列弁文を付した条とする。天衣は両肩から下がって膝前を上下2段に渡り,両腕に懸かつて垂れる通常の形式を示す(天衣の遊離部は欠失)。裳はl段折り返したものを下腹部の石帯で締めるが,その下端は足首よりやや上までとし,幾分短めのものとなっている。石帯の上部にはめくれ返る裳の上端を明確に刻出し,石帯の下部には幅広の布紐を結ぶ。また胸と腹の聞には下腹部のものとは別の石帯を締めている。なお,上背部中央と左右大腿部の背面の岩座は同寺の伝千手観音像(寺伝馬頭観音像)のそれに近似し,横あるいは斜めの節理を主体としながら各所に空隙や立上りをつくるもので,田辺三郎助氏によればこうした形式は770年頃の制作とみられている中国西安郊外大安国寺跡出土の白玉製不動・降三世明王像のそれに類似するという(注1)。なお,この岩座の上面には像の両足が踏まえるように2枚の楕円状の薄板が造り出されていて本像の大きな特徴となっている。以上のような本像の服制,胸飾等の文様,岩座の形式などはいずれも唐代後半の作例にみられるものであることが指摘されておりまた構造・技法面からも本像は同寺の伝十一面観音,伝千手観音,伝不空語索観音等の各像とともに,8世紀後半(天平末期)の制作にかかる初期雑密系尊像の貴重な作例であることは広く認められている。以下では特に本像の足下の薄板を履物とみる立場から若干の考察を試みたい。人がはく履物は,その形態によって大きく閉塞性履物と開放性履物とに分けられる(注2)。閉塞性履物は被甲性履物とも呼ばれ,今日我々がはく靴や,サボ,モカシンのように足を包み込む形のものをいう。仏教彫刻で天部像の多くにみられる皮革製の沓などはこれに分類される。これに対して開放性履物はサンダル,草履,草鮭,下駄などのように足の甲を被わないものをいい,鼻緒をもつものも含まれる。古代の仏教美術にみられるいわゆる「板金剛」はこのうちサンダルの一種に分類すべきものである。サンダルの起源は古く紀元前2000年頃の古代エジプトに湖るとされるが,同様の履計3箇所に矩形の背割りを施し,それぞれ蓋板(後補)をあてる。2.板金剛の作例ぞうりわらじ

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