鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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Y字状に2本に分かれる。古代インドや中国では前緒の代わりに台部から突き出た鼻棒(1) 法隆寺金堂壁画第l号壁比丘像(2) 夏見廃寺出土埠仏断片天部像(3)伝橘夫人念持仏厨子寵左側面扉表多聞天像物は2〜3世紀のガンダーラ美術に多くの類例がみられるほか,キジル,クムトラなどの西域壁画や西域求法僧の姿を描いた中国唐代の絵画にも多く描き込まれている。その形状は一般に足裏の形に沿った板状の台部とこれを足に固定する鼻緒から成るが,多くの場合,前緒(前鼻緒)は第1足指と,第2足指の間(1番目の指股)を通ってを第l足指と第2足指ではさんで使用するものや,前緒をl番目ではなく2番目の指股に通して使用する(第2足指と第3足指ではさむ)ものも一部にみられるが,日本の古代彫刻にはこうした形式のものはみられない。以下では日本の古代彫刻にみられる板金剛の諸例を列挙してみることにしたい。第l号壁には中尊坐仏を中心に2菩薩像と10比丘像が描かれているが,このうち左右最前列の2体の比正像に板金剛が確認できる。2体のものとも同形で,薄板状の台部に鼻緒を取り付ける。台部はほぼ楕円形の板であるが,土踏まず、に沿った側面に半月状の割り込みがつくられている。この割り込みは古代インドのサンダルには殆どみられないものだが,日本・朝鮮・中国の作例には多くみられるもので,この種の板金剛の一つの特徴となっている。前緒は第l足指と第2足指の聞を通し,足甲上の結び目で左右2本に分けて足首に巻き付ける。内腺あたりにも緒の結び目をつくり,そこから下向きに2条の緒をのばして台板の穴に入れ固定している。夏見廃寺は三重県名張市の白鳳時代の寺院社で多数の埠が出土しているが,このうち紀年銘埠にある「甲午年」は持統天皇8(694)年にあてられ,およその造営年代が知られる。上記断片は藤井有森~館所蔵で,もとは群像を表現したものの一部かと推定される。須弥壇上の岩座に立つ着甲把剣の天部像があらわされており,その両足に板金剛をはく。板金剛の形状がより明瞭なのは右足で,やや角張った楕円状の台板に鼻緒を取り付け,(1)の法隆寺金堂壁画比丘像のものと同様に緒を足首に巻き付けて固定している。前緒を第l足指と第2足指の聞に通す点も同様で,また台板半ばの側面に半月状の割り込みがつけられている点も共通している。厨子の左右4枚の扉の外面には四天王像が描かれている。うち左側面後ろ寄りに位置する多聞天像は裳の下に腔当をつけた両脚を聞き,右脚を横向き,左脚を前向きに693

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