鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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phd ハhuうち管見に入ったものを取り上げておきたい。ただし楊柳観音像に関する論考は思いのほか少なく,ましてやこの板状の部分に注目しその意味合いを詳しく論じたものは殆どないといってよい。このうち田辺三郎助氏による『大和古寺大観jの解説は像のディスクリプションとしては最も詳細なものといえるだろう。これによれば,「台座は両足下別個に楕円状の台を造り出し,以下を岩座とするが,足受けの台は無文で,あるいは千手観音像のような踏割蓮華か,履物の形をこのように省略したかとも思われる」とされる(注3)。また西川新次氏は『大和の古寺』解説において,「足下には楕円形の薄板と岩座を踏まえるが,薄板は履物か,でなければ,千手観音像に見られたような踏割蓮華の縁を,後世削ったものであろうJとされ,後世の改変の可能性をも考慮に入れておられるのが注意を引く(注4)。これ以外のものとしては,奈良国立博物館編『特別陳列・大安寺の美術』がこの部分を「踏板」と記すほか,すべての解説類が「薄板J「薄板状のもの」のように特定の名称を避ける記述をとっている(注5)。要するに楊柳観音像の足下にみられる踏板状部分については,それが履物であるのか踏割蓮華なのかが不分明な状態となっているわけであるが,前章で示したような諸作例との比較においてみた場合,私はこの部分を履物(板金剛)と断定してよいように思う。つまり,この板状部分の両側部には台形状の割り込みが明瞭にあらわされており,こうした割り込みは前章(1)〜(4)にあげた板金剛の作例のいずれにも共通してみられる特徴だからである。このような割り込みは踏割蓮華には全く不要である。形状の改変ということも一応は考慮しなければならないだろうが,かりに踏割蓮華の蓮華部分を削り取ったものだとしても,その際にわざわざ上記のような割り込みをつけるべき積極的な理由は見出だせない。このように考えると,本像の足下にみられる板状のものは板金剛であり,現状の形は当初から不変であるとするのが最も素直な見方のように思われる。なお,この板金剛には現状では鼻緒に相当するものがないが,当初は同像の垂髪部分と同様に木尿漆の盛り上げでつくられのちに欠落したものと解すれば不都合は生じないであろう。中国や西域ではサンダル状の履物をはく菩薩像は必ずしも少なくないが,日本の作例においてはたいへん特殊といえる。以上のように解釈した場合,楊柳観音像は菩薩形でありながら開口膿怒の相を示すといった特徴に加えて,板金剛をはく菩薩形像というもう一つの特殊性を併せもった像ということになるが,その際注意すべきなのは本像の板金剛の形状が興福寺阿修羅・十大弟子像のそれと酷似している点であろう。

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