2. 1997年度助成近世初期風俗画における図様継承の研究一一岩佐文兵衛の画風解体と伝承イメージの形成を中心として一一研究者:東京国立博物館学芸部美術課絵画室員田沢裕賀室町時代末から江戸時代初期にかけて(16世紀前半からおよそl世紀半ほどの間)の風俗画を他の時期の風俗画と区別して特に「近世初期風俗画」と呼ぶように,この時期にはそれまでの日本美術史に見られなかったほどに風俗画が多様な展開を見せている。なかでも,寛永年間(1624〜44)を中心とした,慶長(1596〜1615)末から明風俗画から,同時代(浮世)に生きる人々の風俗自体を描き出すことに主眼をおいた多様な主題と様式の新しい風俗画が展開した。この時期の風俗画は,主題の面から菱川師宣以降の浮世絵発生の母胎となっており,また,表現の上でも浮世絵と直接の関連性が認められる作品が少なくない。近世初期風俗画を浮世絵の初期段階として位置づけて「初期肉筆浮世絵」と呼ぶ場合に,その中心となる「デロリとした」と形容される卑俗な風俗画作品が生み出されたのも,寛永年間を中心とした時期であった。上記のように江戸時代初期の風俗画は,近世初期風俗画の中でも浮世絵発生への展開を考えるうえで極めて重要な時期であるにもかかわらず,作品には雑種的ともいえる多様な様式が混在しているため,研究の基礎となる様式展開の過程を把握することが難しく,「洛中洛外図」−「邸内遊楽図J.「歌舞伎図」−「00祭礼図」といった主題ごとの枠をあらかじめ設けての研究が中心となってきた。本研究では,それらの主題の枠を前提とするのではなく,風俗画作品聞にしばしば認められる共通図様の使用を第一の手がかりとして,作品の系列化を行っていくこととする。I 共通図様の検討例(神明杜蔵のく北野社頭歌舞伎図〉を例として)富山県福野町にある神明杜蔵のく北野社頭歌舞伎図〉(六曲一隻)は,画面を金雲で斜めに区切り,右上に北野社を,左下に歌舞伎小屋を配した中扉風で,もとは他の京都の名所を描いた一隻とで対をなしていたものと想像される。第四扇下の歌舞伎小屋の外聞い脇に描かれた四人の女性(図1-A)にまず注目してみよう。四人の女性は,暦(1655〜58)にかけての時期には,名所絵や月次絵の伝統的な景物表現を重視した
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