MOA美術館蔵のく浄瑠璃物語〉でも,第8巻第2段蒲原宿の宿きくやの場面に同じよ3 買取りうに相手を担ぎ上げて背にした相撲の様子〔図9〕が描かれている。この二場面の取り組みは,投げられる男の体の向きが逆で型をそのまま引用したものではないが,技や足の動きなど誇張された動勢表現は,狩野派などの他の絵画作品に描かれた相撲場面に見られないほど激しいものである。誇張された動きの表現を岩佐又兵衛系相撲図の特徴と認めることが出来る。2 喧嘩又兵衛系風俗画に頻出する共通モチーフとして喧嘩の場面があげられる。相撲と同じように動勢を強調した描写で,江戸時代初期に街を閲歩していたかぶき者達の乱闘の様子が緊張感をもって描かれている。徳川本〈豊田祭礼図〉右隻左中段に描かれた喧嘩の場面〔図10〕は,着物の上半身を脱いで刀を手にしたかぶき者が向き合い,後ろから手を引き,また抱えるなどしてそれを制止しようとする者,両者の聞に入りこれを止めようとする手を合わせた僧,逃げまどう人々で構成されている。上体を前屈みに傾け,手を伸ばし,手首を曲げて指先までを反らした逃げる人物の描写は,又兵衛が使用した「勝以印jの捺された〈和漢故事人物図巻〉(福井県立美術館蔵)に描かれた乱闘場面〔図11〕と共通している。これに対し,慶長19年(1614)狩野派一門によって制作された名古屋城本丸御殿対面所障壁画の「風俗図」の中に描かれた喧嘩場面〔図12〕は,やはり万を手にした一触即発の場面でありながら,場の緊張感を生み出す過度の誇張表現はなされていない。動勢に富み誇張された人物表現を岩佐又兵衛系喧嘩図の特徴と認めることが出来る。この〈豊田祭礼図〉の喧嘩パターンを踏襲した作品は多く,〈行幸・祭礼図〉(個人蔵)〔図13〕,〈公家武家遊楽図〉(洛東遺宝館蔵)〔図14〕,〈住吉浜遊楽図〉(堺市博物館蔵)など他にもいくつかの作例が知られている。近世初期風俗画には,頭についた訊を潰す場面が描かれた作例がある。徳川本〈豊国祭礼図〉左隻第一扇の施行に集まった貧者の中に描かれた訊潰しの場面〔図15〕は,膝の上でうつ伏せに眠る子供の鼠を上から両手で、肘を張った姿で潰しているものだが,同じような姿は舟木家本〈洛中洛外図〉(東京国立博物館蔵)〔図16〕などの又兵衛系作品に見いだされる。それに対し,狩野内膳筆のく豊田祭礼図〉(豊国神社蔵)の施行場面に描かれた式取り〔図17〕は,向き合った姿で描かれており,同じパターンが,-702-
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