狩野派画家の手になったと推定されているフリア一美術館などの一連のく犬追物図〉にも用いられている。訊取りの場面に関しても,又兵衛系風俗画には狩野派とは異なった型の使用があったことが確認される。以上3場面の検討から,徳川本〈豊田祭礼図〉には,狩野派作品とは区別される又兵衛系風俗図に共通使用されている姿型の典型が認められることが確認された。そして相撲や喧嘩場面のように,それらは,誇張された姿型を特徴としていた。このような部分モチーフとしての姿型の継承が,作品の個性ともいえる誇張された型と,その利用によっておのずから生み出される感情表出の度の強い,いくぶんか形式化した作風を生み出していく要因になったと推測される。皿又兵衛系風俗図の共通姿型以上の検討により,同一場面におけるモチーフ図様の共通利用とその表現を比較検討することが,工房のもととなった画派の推定に有効であることが確認された。つぎに,又兵衛風風俗画にしばしば共通使用された図様をもとに,グループの輪を広げる作業を行なった。く花見遊曲図〉(個人蔵)は,野外での花見の宴を細織な筆致で描いた華やかな作品で,無款ながら岩佐又兵衛自身が制作に関与した可能性の高い風俗画とされている。この中には,男女の出会い場面(購曳図)や,花見の荷物を運ぶ大人と子供の組み合わせ〔図18〕など,近世初期風俗画に共通利用されているモチーフが多く描かれている(注4)。この作品の,女の肩に手を回し寄り添う男女,その後ろで三味線を抱え後ろを見る子供,楊枝をくわえた男,の四人〔図19〕を抜き出したように描いた風俗図扇面(大和文華館蔵)〔図20〕がある。この扇面とー具の扇面に長刀を担いだ武士を先頭に,馬の背に人と振り分けた荷をのせて運ぶ一行を描いたもの〔図21〕が含まれている。この図様は,〈大坂市街図〉(個人蔵)〔図22〕・〈誓願寺門前図〉(京都府京都文化博物館蔵)〔図23〕などにも描かれている。これらの作品は,作風の上から又兵衛風をもった作品との指摘がなされているもので,又兵衛風図様の広がりが又兵衛風様式の広がりと密接なつながりのあることを示している。ところが,先に狩野派系町絵師の作品と推定したく祇園杜・四条河原図〉の歌舞伎小屋の場面〔図24・25・27〕と観客の姿を共通させる図様が用いられているく釆女歌舞伎図巻〉(徳川美術館蔵)〔図26・28〕では,姿型などにも又兵衛風作品と共通性が-703-
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