3. 1993年度助成本多錦吉郎研究研究者:広島市立大学国際学部教授大井健地日本の油彩画の歴史において,高橋由一,五姓田義松などに劣らぬ存在であり,浅井忠の先輩格である本多錦吉郎(1851-1921)は,黒田清輝以前の秀れた明治洋画開拓者のひとりである。今日に伝わる作品が少ないのが残念であるけれども,当時の絵画青年に与えた強い影響は文献に容易に見てとること(注1)ができる。管見の範囲で今日,所蔵先が判る現存作品リストを示しておこう(単位:cm)。①〈肖像〉油彩68.0×51.0明治11年秋広島県立美術館(O 498) ②〈中禅寺湖夜景〉油彩39.0×60.0明治13年頃神奈川県立近代美術館(Y ③〈羽衣天女〉油彩127.0×89.0明治23年大阪・個人④〈観梅図〉油彩53.7×44.2制作年不詳東京国立博物館(11237) ⑤〈富士〉紙・水彩23.5×33.0制作年不詳東京国立博物館(11268) ⑥〈静物〉油彩57.0×85.6制作年不詳東京国立博物館(11344) ⑦〈静物〉油彩37.1×49.6制作年不詳東京都美術館③〜⑬〈景色〉油彩64.4×88.7他5点府中市美術館開設準備室これらが一堂に展示された機会を僕は寡聞にして知らない。時の経過とともに失われる作品もあるが,一方で発見されることもあることに希望をつないでおく。作品の数だけからいえば本多の場合,「団々珍聞」掲載の“狂画”がある。サインのあるのが例外で,圧倒的にサインのない,この“狂画”群の本多錦吉郎の画業の一環としての本格的検討はこれからの課題であろう。明治期の,世に先んじていた西洋画家,絵画理論家,美術教育者,社会訊刺家,さらには作庭家,庭園研究者などの多様多彩な面を持つ知識人美術家,本多錦吉郎の仕事の全貌はまだなお未解明の部分を残しているだろう。そして探究するに値する画人ほんだきんきちろうつU179)
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