鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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財団が提供する。これこそ,国家や組織,言語や文化,地理的条件や生活習慣など,様々な違いを克服して実現された近未来型博物館のあり得べき姿の一つなのである。この美術館は開館してからまだ日が浅いというのに,すでに「二十一世紀博物館」としての地歩を着々と築きつつある。与えられた条件こそ違え,ピルパオ館に続いて開館したカリフォルニアのゲッテイ総合美術センターも新世紀を見据えた「デザイン」(企図)の追究に余念がないし,先ごろ近世絵画部門の展示が新装落成したベルリンの国立美術館,あるいは十年以上に亘る大改修工事がまもなく終わろうとしているパリのルーヴル美術館,本年12月31日にリニューアル・オープンを目指している国立ポンビドゥ一芸術文化センター,さらにはルーヴルの改修工事に範を仰ぎつつ新たな美術館構想を模索しているマドリードのプラド美術館やロンドンのテート・ギャラリーなど,世界各地の大規模施設はいずれも来るべき時代を視野に納めた博物館構想を着実に現実のものとしつつある。テクノロジーの活用ところで,これらの事例でもって語られる「二十一世紀博物館」のミニマムな要件とはなにか。これは世界の博物館人の関心の的である。しかし,だからといって博物査官の実態論を抜きに,先端技術の粋を集めたハイ・テック施設のごときものを思い描いても始まらない。博物館を標梼する以上,実際の作品(多くは歴史的・学術的に希少な「モノ」)を最良の条件下で来観者に見せることがなにより肝要であり,この「モノとの一期一会の出会い」を保障するという博物館の社会的・学術的な教育機能は,いかにテクノロジーが進化しようと,他のものをもっては容易に代え難い。人類は過去の「歴史」をそう易々と手放したりはしない。たしかに,最新のテクノロジーをもってすれば,それら歴史的な遺産の有するアウラをよりいっそう輝かしいものにして見せることもできる。しかし,テクノロジーは,とどのつまりが技術に過ぎず,それだけでは文化的な価値によれない。なぜなら,テクノロジーはそれを活用するのに相応しい形式が与えられてはじめて,文化の闘に立ち入れるものなのだから。そこで,問われるのは,新しいテクノロジーの利用を最適化するのに必要な「デザインj戦略である。換言するなら,最新の技術を駆使して歴史的な遺産を将来の世代に手渡すのに必要となる麗しい形式とはなにか,テクノロジーを文化的なものたらしめる方策とはいかなるものか,という課題に対する実践知がいまのわれわれに求めら737

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