鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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展をモデルにした朝鮮美術展覧会を選ばねばならなかった。そこでの評価という箔付けは,努力と才能の証明であったが,他方,当時の韓国の文脈では,親日的と見なされて反感を買う政治的構図があった。彼女を介して韓国に導入された西洋画は,なるほど西洋の絵画ではあるが,その教育法や出品・評価のシステムは紛れもなく,日本の制度である。ここに,そうした形でしか西洋画家として自立しえなかった羅恵錫の悲劇的な生涯がある。彼女は,押しつけの普遍性を拒否し,多重的文脈の中でアイデンティティーを求めて苦闘した点で現代に連なる。明治以来の日本は,西欧に学んだ近代と日本的伝統との混成した制度の創出の連続であった。その過程で韓国や台湾そして中国というアジアの諸国・地域に対して,「日本版オリエンタリズム」とでも言うべき価値観の生産と押しつけを行ってきたのである。塞術や美的文化は,ともすれば,こうした政治・経済的な戦略や覇権を巡る時代の動きと切り離して扱われてきたが,実際には深く根を下ろしていることが明らかにされた。所謂原爆文学の場合は言うまでもない。ウルシュラ・ステイチェック氏は,アウシュヴイツツと広島という人類の体験した悲劇を知何に,塞術に昇華していくかが人類の課題であると述べた。被爆や被害の体験に基づく発言は特定の人々の特権ではない。当該の民族に閉ざされた体験ではなく広く共有されるべき体験の構築には,他者の視線が必要で、ある。およそ,この悲劇に関心を寄せる者が知的に成しえる寄与の一つに,別の歴史を通じて培われた異文化の視線も有効で、ある。文学は,その場合,人類の狂気を見つめる作業である。暗闇の認識を通してしか人類の未来も癒しもない。この破局的な事件を,塞術を介して新しい文化的な遺伝子として存立させるのは,孤立した批評ではなく現代に必要な物語の機能である,と述べた。こうして言説の有つ重要性が更めて意識された。従来,日本の美術作品や塞術意識を扱う際に,西欧で発展した学問的用語や発想を借り,また,西欧の歴史的展開と切断しがたい美意識を暗黙の前提としていた。さもなくば,西欧とは全く別の文化的伝統として日本の美的文化を考える傾向が強かった。これは韓国も同じことで,西欧をモデルに近代化せざるを得ない非西欧社会の宿命である。だが,西欧文化を絶対とせず,自文化の伝統を尊重し塞術文化を考えるためにも,歴史的文化的文脈の多重性ないし混成性の自覚が今重要であろう。その一つの課題に,塞術に関し文化的母胎を共有する東アジア,具体的には韓国・744

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