鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ほ保田でん⑤斉偏研究者:日本女子大学人間社会学部教授子文献と考古学発見およそ中国造型芸術史研究に携わる学者ならば,以下二件の文献について,既に熟知しているはずで、ある。それらはいずれも,現在の山東省との関連を持つ。一つは,春秋時代の哲学者である孔子が『礼記』の中で,偏使用に関し行なった批評。「備を扱う者は不仁である。人を殉死に起用するのと似たことではないか」(注1)。もう一つは作者不祥だが,前漢時代の劉向が編集した『戦国策・斉巻第四』に,以下の寓話の類に属すと思われる記載がある。「孟賞君が述べた。臣がお館に参ります途中,泊水のほとりを通り過ぎますと,泥人形と桃の木の人形とが互いに語り合っておりました。桃の木の人形が泥人形に申しました。「君は元をただせば,この西岸の土だ。君を担ね固めていかにも人間らしく作ってはいるが,毎年八月の頃ともなって,大雨が降って泊水が溢れ出したら,折角の君も元の木阿弥さ」泥人形が申しました。「いや,そうではない。いかにも,僕は西岸の士だ。だが,僕が壊れたら,西岸に帰るだけのことさ。ところが,君は,東国の桃の木でできている人形だ。君を刻んだり削ったりして人間の形にこしらえてはあるが,大雨が降り,j高水が溢れだして,君を流してしまったら,ぷかぷか漂い流れる君は,一体どうするつもりかねJ(注2)。一つ目に記した文献の重要性は,現在の学術界において備の起源が,春秋から戦国時代への過渡期であったとの認識を左右させている点にある。孔子の伺使用に関する上記の見解は,現在のところ備にまつわる最古の記録とされている。二つ目の文献が提示している事柄とは,孟賞君が「泥人形」と「桃梗」双方の会話のやりとりを拠り所に,自身の政治への主張を表現したものだが,偶人に対する見識が低ければ,この寓話は存在なし得ないはずで、ある。文献に記された偶人が,備と断定できるか否かは別だが,この記述内容から,当時既に,人体彫刻が濫暢の段階に入っていたことは,紛れのない事実と言える。孔子の故郷は,山東省南部にある。また,寓話「土偶と桃梗の争ぃ」の中で述べられた治水は,実際に山東省中部から東北部にかけて流れる河川である。これにより,上記二件の文献内容を,地域的観点から考え合わせると,山東省全域に当てはめることができる。現在の山東省一帯は,春秋時代には,斉や魯等の諸侯国に支配されてい68

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