鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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1.春秋時代,山東省臨泊県郎家荘l号殉人墓から備像六組およそ20件が出土した。4.戦国時代中期,山東省章丘県寧家埠東周墓71号墓。出土時期:1989年〔地図l〕。例1.陶製舞踏女性情例2.陶製舞踏・演奏儒たが,戦国時代に入ると,斉国が独覇する局面を迎えた。中国文化は,東方,西方,南方そして中原,この四大区域の内,東方の思想文化が推進力となって発展した。また文物においても,新石器時代の大波口文化及び龍山文化による陶器の生産,また殿,周時代に起源を持つ青銅器製作は,当地において急速な発展を遂げ,生産技術は,囲内でも最高レベルに達した。しかしながら,斉備が作られた時代についていえば,同時代の南方の楚,中原の三晋,西方の秦などの地から,木製,陶製さらに金属製などの備が出土しているのとは異なり,東方の斉地からの出土は,陶製備のみに限られている。以下,四ヵ所から発掘された陶製備の実例をあげる。出土時期:1972年。2.戦国時代早期,山東省長島県王溝10号墓。出土時期:1973年。3.戦国時代中期,山東省章丘県誘恵鎮女郎山I号殉葬墓。出土時期:1990年。二.伺像観察備の実態を明確化させるため,先ず代表的な例を観察する必要がある。春秋時代,山東省臨泊県郎家荘1号殉人墓出土。「備の髪警が,一部破損している。顔面は扇平,黒色の塗料で眉毛と目を描き,長い裾を後ろに引きずり,帯のような物で腰を縛っている。腕を上に挙げ,舞踏する様を表現している」(注3)。戦国時代早期,山東省長島県王溝10号墓出土。備像合わせて28件。「最も高さのある備は11センチ,最も小さい備は,5センチ。顔は赤色,口,日は白色,黒で瞳を表現している。髪は黒色で,高警,双環書,一束に垂らすという三種類の髪型の偏に分かれている。上着は,ぴったりとした長袖に右桂で合わせ,殆どが淡い青色で,その他には黄色や赤色のものもある。下着は裾が長く,殆どが赤,黒色のストライブに白い斑点が施されている。帯には赤色や白色のものがある。人物の多くは立ち姿で,のびやかに体をくねらせ踊る姿のものや,脆いたり音楽を奏でるもの-69-

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