〔図5〕D.観賞女性情10件は,「胸部が豊満である。高さ8センチ。服飾の違いにより,二組に分けられる。一組の5件は,頭部は,左側は偏りのある警を結い,右側は小さな誓を巻き付け,顔は赤色を施している。淡紅色に白い斑点のある長衣を着用しストライブに水玉模様のある内側の長衣の裾が後ろ身ごろから出ている。もう一組の5件は,左側に蓄を偏らせて結った偏4件と,短髪で高警の無い偏l件で,それらの顔は,いずれも赤い。身にまとった服は二種類あり,一種は,ショール式で淡紅色の裾の反り返った長衣をまとい,赤い斑点のある内側の長衣の裾が後ろ身ごろから出ている。もう一種は,黒青色の生地に赤い斑点のある長衣を着用し,黄色の生地に赤い斑点のある内側の長衣の裾が後ろ身ごろから出ている。10件の観賞備の内,l件が右手を下におろし,左手で腹をかかえているのを除いては,いずれも手を袖の中に入れ,直立している。」(注5)〔図6〕また戦国時代中期に属す,山東省章正県寧家埠東周墓71号墓からl体出土(注6)。三.斉伺芸術性への認識萄子は,「金や玉の彫刻を飾り,鑑賞することで,自らの徳望を高めようと願うJと述べている(注7)。その中で氏は,出色した彫刻芸術品からの視覚的伝授は,人生における愉悦的情感を生むと定義づけている。当時,既に一部の学者の中で,彫刻芸術の社会的役割を認識する動向があった。斉備の芸術性を分析するにあたり,先ず上記の資料に基づき,芸術構成及び区域の芸術性等を重点に,以下回つの項目について検討していく。人体彫刻を語る上で,斉国に生まれた,ある物語に登場する主人公に関する描写を忘れてはならない。「郡忌の背丈は八尺ほどあり,その出で立ちはすらりとしている」(注8)。都忌への体型を賛美する形容がされたということは,斉地において,こうした審美意識が流行していたことを裏付けるものである。しかし,かつての斉地から出土した偏像の作りは,この文献内容と一致せず,背丈の高い斉備は確認できず,主流となる備のタイプは,小型の物ばかりである。これら伺像の身体各部のバランスを観察すると,均整のとれた完壁な立体彫刻ではない。だからといって,それらは熟練した技能の基に作られた傑作とは見倣されないのか。1 .既に,基本的に人体造型への表現力を把握していた。-71-
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