鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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4川ト州0 、ペノ品〉ぇ一言このことを,優れた間器,青銅器を作り上げた斉人の芸術性から考えるならば,人像彫刻の分野における彼らの思惟方式を見付け出すのは困難ではない。というのは,斉人は,対象物の特徴はどこにあり,何を表現し,何を省略すべきかについて,既に選択性を有し,人体彫刻を製作する上での規律を掌握していた。体型が不均衡であることは,決して不思議で、はなく,早期の彫刻には,しばしば見られた現象である。例えば,エーゲ海周辺で発見された2200年前の女性の偶像も,それにあたる。その彫像は,胸部より上が全身の三分のーを占め,頭部に,唯一,鼻の輪郭線が彫られているに過ぎない。その像の所作は激しいものでなく,流暢で、力強い輪郭線が,魅力ある作品に仕上げている。同じく中国でも,こうした現象が一般的に存在していたことが確認できる。黄河上流域の険西省銅川県棄廟村秦墓から出土した,春秋時代晩期の泥偏8件(1984年),また黄河中流域山西省長治市分水嶺14号墓から出土した,戦国時代早期の陶偏18件(1956年)は,いずれも小型である。斉備に反映された斉人の審美意識とは,単なる模倣に留まらず,特定の精神活動の支配により生じたものである。現在観察できる全ての斉備の顔面からは,表現する上で、精力的で、なかったことが確認でき,この点に関し,斉人の心理活動の中で重要視されていなかったものと考えられる。一方彼らは,複雑な所作への製作に積極的ではなかったものの,対象物の瞬間的な動態をとらえることに長け,創作芸術の情理にかなった形式で表現した。それにより作品は,生活の息吹に富むものとなった。当時の斉地の芸術家は,想像や理想、によって符合し製作活動に携わったのでもなければ,また人間の生活を再現しようとしたのでもない。彼らは,これら両者を融合させ,単なる「模倣ー偏」から脱皮し,「人像の精神化Jへの理解を深めることで,型にはまった対称観から離脱することに専念した。この取り組みは,中国造型芸術史における,一里塚的性質を具えた画期的なものであった。萄子は,「形が具わることで,自ずと生命力を感じる」と述べているが(注9),まさに,斉備は,その境界に立ったと楚地,三晋の地から出土した写実性の高い伺は,斉備と比べ,芸術的に優れているのだろうか。私は,そうとは考えない。歴史全体を見渡すに審美意識というものは,地域性により差異の生じる現象が後を絶たない。西北地域で発見された中原の戦国時代に相当する「塞族」の武士備の表現が,地理的に近いという要因から,黄河上流域の秦備の写実性を極めた手法と共通点があるのは当然である。それがやがて,秦の始72

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