鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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3.輪郭線が明快で,構造は素朴で,随意性を持ち合わせた趣ある作品を作り出した。に単体で相互関係は殆どない。楚備では,群像が出土したにもかかわらず,大多数が同様の所作で変化に乏しい。だからこそ,斉伺の存在は,春秋・戦国時代の偶像研究に,不可欠なものであることが理解できる。これまでに発見された70件以上の斉備は,全て陶質である。こうした現象から,我々は陶質彫刻の随意性というものを考えさせられる。初期の陶質作品の構造は簡単であったことから,往々にして,木製や金属製の方が重視されていた。上述で引用された「桃梗と土偶争い」の寓話から,春秋・戦国時代には,既に芸術表現の拠り所である素材の善し悪しについての議論が存在していたとが,間接的に証明できる。斉地の芸術的成就を研究する上で,偏像は,重要な参考資料として代表的意義を有している。斉偏芸術は,人間の感性から生じた理性的意識に基づくもので,「概念化Jへの追求はせず,全体比率にこだわらず,あらゆる方法を講じ生物機能を模倣することを放棄した。故に,斉備には,抽象的軽快さが醸し出された。換言すれば,相対的に愉悦的雰囲気の中から「遊戯性」に富む作品が生まれた。副葬品として墓に埋葬される備とはいえ,死への恐怖から逃れるというイメージは感じられず,むしろ理想の世界を構築することに努めている。しかし「随意」とはいえ,本来の形を無視する「放任jとは異なる。演奏楽器の配置,群舞における個々のポジションは,全て歌舞の法則に従うもので,自然に納まっている。そこからは,ある種のリズミカルな卒業を感じ取ることができる。また斉地から出土した舞踏備には,彩絵方法が取られている。これに関し,『国語』には「斉裏公は何百もの妾を持ち,(その妾たちの)衣服には,刺繍が施されている。」と記されている(注11)。しかしながら,それは斉備の最も重要な装飾的特徴とは言えない。楚地から出土した木偏,漆器に描かれた人物にも,彩絵が施されており,服装形式,装飾の程度は,楚備の様に目を奪われるほどの鮮明さはない。このことは,斉人が偏製作において駆使しなかったのか,或いは斉地において,素朴な風俗があったか否かについて,我々に啓発を与えるものである。この点については,さらに研究を重ねる必要がある。『韓非子・説林』に,以下の理論が引用されている。「人体を彫る方法としては,鼻を大きくするに越したことはなく,目を小さくするに越したことはなく,鼻が大きいのは小さくできるが,小さくては大きくできないからだ。日が小さいのは大きくでき74

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