鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
93/759

⑥ 16世紀前半のイタリア美術とサク口・モンテI.イタリアにおけるサクロ・モンテ小史研究者:ピサ大学文・哲学部美術史学科単科コース留学生論者がかねてより研究しているポントルモの壁画連作「キリストの受難J(チェルトーザ美術館)に与えた初期のサクロ・モンテのテーマ的示唆の可能性は,c.キアレッリとG.レオンチーニによって早くに(注1),続いてごく近年にもC.P.ストロッツイによって繰返し指摘されているが(注2),その関わりの有無,影響の仕方については,管見の限り,未だ追究はなされていない。初期のサクロ・モンテといえば,一つは,前世紀の末以来,多くの研究が積み重ねられてきた(注3),北イタリアのノヴァーラ県に建設された有名なヴァラッロのそれと,フィレンツェ県モンタイオーネ市の隠者の森,サン・ヴイヴアルドに建設されたサクロ・モンテということになるが,後者は,サクロ・モンテ史の中でもその地理的位置や主題,類型の点でユニークな位置を占めている(注4)。ポントルモの連作との関わりの有無を探るべく始まった初期のサクロ・モンテ,とりわけ後者のサクロ・モンテについての調査・研究は,それを歴史的によりよく理解するために,個別研究と平行して,サクロ・モンテ全体に対する調査・研究にも及ばざるを得なかった。「サクロ・モンテjの性格や,イタリアにおける成立過程,歴史,また,サクロ・モンテのおおよその総数とその分布,建設時期,形態,建設者や絵画や彫刻の制作者といった,サクロ・モンテ現象についての基本的な事柄の理解,解明なしに,個々の施設を論じることは不可能であるし,容易に歴史的実像の曲解へと通じてしまうからである。紙面の限られた本紙でサン・ヴイヴアルドのサクロ・モンテを詳細に紹介しながら,ポントルモの連作への影響の有無を考察することは不可能でもあり,ここではその前段として,初期の二例を含めたイタリアにおけるサクロ・モンテの全体像にプロフイールを与えることを試み,報告書としたい。「サクロ・モンテ」という用語を,より根本的,暗示的な意味で定義するなら,その特殊な概念は,中世より後(特に15世紀末から18世紀半ば)に,修道士のためにではなく,大勢の巡礼者や悔俊者を「天のエルサレム」,「聖なる頂き」に至らせるために,関根浩子-83-

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る