鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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元・明時代の絵画についていえば,元時代の巨匠呉鎮(1280〜1345)や黄公望(1269〜1354)の作品はわずかであり,ほとんどは明時代の沈周,文徴明,仇英,唐寅,藍瑛といった著名画家の落款をもっ作品である。しかし,中国において高い評価を受けた画家の,オリジナルや直模の作品を,日本でみることはほとんど不可能で、あり,中国文人画の足跡を理解しようとする日本人は,転写を重ねた末の粉本から学んだと考えられる。晴湖は,これら大家の作品の粉本から,図様構成を厳密に写しとってはいるが,その筆法は原作のそれに近似するとはいいがたく,むしろ転写を繰り返した粉本の常として,きわめて誇張された筆づかいになっている。では,晴湖の粉本と完成作の具体的な関係を,山水画,花鳥画,人物画のテーマ順にみてゆこう。まず,山水画「天池石壁図」(大阪・藤田美術館蔵)は,先に挙げた元時代の重要な文人画家黄公望による作品として知られるが,近年の研究によれば,北京・故宮博物院が所蔵する真作を明代に写したものとも推定されている〔図l〕。ともあれ,この作品は,江戸時代の画家の聞で黄公望の真作と信じられ,数多くの模写が制作された。晴湖の粉本をみれば,彼女がこの絵画の基本的な図様構成を充分に理解していたことがわかるが,しかしそのぎこちない筆致は,これがオリジナルの中国絵画から幾度となく模写を経た末であることを示している〔図2〕。明治29年(1879)'晴湖はこの粉本を下敷きにして,自身の大作「天池石壁図J(統本墨画)を描いた〔図3〕。この作品は,彼女の重要なパトロンのひとりであった,長谷川越夫の求めに応じたものである(注10)。ここで晴湖は,自分自身のスタイル,すなわち墨色に階調をつけた多様な筆法を駆使することにより,独自の作品をっくり出している。款記には,文人画の通例にしたがい,画題,原作の画家,作品の制作日および注文者の名が記されている。晴湖は,山水画と同様,花鳥画においても多様な粉本を制作した。すなわち,清時代様式に基づく著彩の細密花鳥画の類いに加えて,晴湖は数十枚にものぼる「四君子」を制作した。その典型的な例としてここに挙げるのは,竹を描いた粉本である〔図4〕。そして明治時代初期に制作された作品「半窓林雨図」は,この粉本に基づく完成作の代表といえる〔図5〕。粉本の図様をみると,画面左下方より幹を伸ばした竹が葉を茂らせ,その葉が画面全体に広がっており,画面下方の三分のーには豊かな水が流れ,岩や笹が添えられており,また上部右側には「半窓林雨図Jの画題を記し,方印二頼を捺す。「竹図」のような縦長パージョンをはじめ,竹,あるいは竹と水流を組み合わ-93-

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