鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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(2)平井良直氏は『古河歴史博物館紀要泉石』第5号(2000年5月)に,「奥原晴湖(3) 奥原晴湖に関する日本語の参考文献は,次の雑誌論文および図録を参照されたい。(5)古河藩の歴史および古河市については古河歴史博物館の刊行物を参照されたい。(6)鷹見安二郎の著書には,晴湖が「古河で話せるのは鷹見の隠居ばかりだ」と話し(7) 晴湖が愛用した机や矢筈などの品々は,現在も奥原家で使用されている。これら(8) このことは,古河藩の家老・蘭学者であった鷹見泉石の後育,鷹見安二郎が推測(9) (1)前掲論文の第N章および第V章。(10) 長谷川家(新潟県三島郡越路町)は江戸時代,庄屋として新田開発や河川事業を旧蔵の粉本資料について古河歴史博物館蔵[奥原家歴史美術資料]の紹介と考察−Jを発表された。古河歴史博物館編『奥原晴湖展一一明治南画家の粉本と作品そして生き方.I, 1996年。マーサ・マクリントク「文人画家奥原晴湖」『江戸期おんな考J第9号,1998年。また英文の参考文献は(1)前掲論文に収載されている。(4) この研究班は,古河歴史博物館学芸部門川島|匂二マーサ・マクリントクからなり,目下,奥原家コレクションほか晴湖に関する古河歴史博物館の所蔵品の調査と目録作成を行っている。これら資料に関する刊行物が,古河歴史博物館より刊行される予定である。また,晴湖や古河地方に関する一般的な史料や伝承に対する解釈は,川島陶二の著書『画賛から見る奥原晴湖』(りん書房1991年)に述べられている。たことが引用される。鷹見安二郎『伝記J2 -6' 1935年,13頁。はすべて中国製品である。筆者が「OM615 Jの番号を付した画帖の中には,この机,机と対をなす花瓶を置く高台をはじめとする調度品(械強,掛幅,家具)のスケッチがある。大正元年(1912)撮影のポートレートで,晴湖は,彫文様のあるチーク材のこのキ凡に日すをついている。している。行ったことが知られる旧家である。谷文晃をはじめ多くの文人が当家を訪れており晴湖にとっても,長谷川家の人々はきわめて重要な後援者であった。長谷川越夫は,晴湖の主要作品となる作品を数点注文しており,晴湖と晴嵐は,生涯にわたり長谷川家と親しい関係にあった。長谷川家の歴史については,現在の家長で-101

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