うな大ぶりな形態把握のうちに黒人青年を描いており,セザンヌの影響が強く見られる中にも,デイエゴ・リベラ(1886〜1957),オーテイス・オルドフェルド(1890〜1969)など西海岸のアメリカン・シーン画家たちに通じるようなモダニズムの萌芽が感じられる。さらに,この〈アフリカ系アメリカ人の肖像〉を制作中のミキ早川をモデルとして,表現主義的に描写したヤン・ジー(朱見:1906〜1963)の作品〈芸術家のアトリエ〉〔図2〕がある。当時の優れたモダニズムの実践であるこの作品を見ると,当時のカリフォルニア・スクール・オブ・ファイン・アートには,アフリカ系,日系,中国系などが様々に出入りしながら制作するような自由な空気が漂っていたことが理解できる。ミキ早川が絵画に惹かれた理由は,戦前のこの分野に人種による差別や偏見が比較的薄かったことがあげられるのではないだろうか。日系一世たちは,アメリカ全土に吹き荒れる強い排斥の機運の中で,「日系社会Jをつくり集団で寄り添うことによって生活していたが,画家集団は必ずしも閉鎖的であったわけではなかった。むしろ画壇と呼ばれるような集団性を形成しながらも,その集団は常に現地に聞かれていた。時には,中国系などとも一括されながらも,質量ともに現地の美術界を納得させ得るだけの実績も形成し始めていたのである。ミキ早川は,そうした日系人を含めた様々な画家,学生に感化を受けたが,早川を描写したこのヤン・ジ一作にも一時的な影響を受けている。1927年前後の早川の作品〈眠る男〉〔図3〕を見ると,グリーンを主調色とした色遣いといい,ドイツ表現主義を思わせる空間把握の簡略化といい,ヤン・ジーの強い影響を思わせる。むしろ,〈アフリカ系アメリカ人の肖像〉との脈絡を一時的に失ったようにすら受け取れる。1925年から1927年までの早J11は,様々な画面上の実験を試みていたと思われる。さかのぼって最初期に描かれた,全米日系人博物館所蔵の唯一の油彩作品(1925年)〔図4〕では,早川独自の大ぶりな面による空間把握が希薄で,手堅い風景描写で推し進められている。日本家屋を木々と関連づけながら描写しているが,未だ習練の途中にあるという印象は免れない。おそらく,1925年から26年に至るあたりにアカデミズムから抜;け出る契機カfあったように思われる。同じ風景画の1935年作〈窓からの眺め〉〔図5〕(注18)では,窓辺に置かれた花とコイトタワーを含めたサンフランシスコ・ベイエリアの風景を独自のタッチで描き,すでに極めて安定した早川風の画風をあらわしている。セザンヌの感化を感じさせな
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