として面分割を採用した画家の原点として考えても無理はない。また,戦前戦後にまたがるような作風の作品として〈蓄積色のドレス〉〔図7〕がある。この横向き加減の女性像には,戦前の〈アフリカ系アメリカ人の肖像〉に通じるものがあるが,二作品を並べて比べてみると,前者作品の方がタッチが濃やかで落ち着いており,色彩もバランスよく抑えられ,後年の作であることが見て取れる。サンタフェ郊外を描いた明らかな戦後作〈風景〉〔図8〕の,荒々しさのうちに繊細さを秘めた濃やかな筆遣いの方に,むしろ通じるのではないだろうか。〈陶芸家〉〔図9〕では,戦後の早川の特質が遺’患なく発揮されており,戦前戦後を通してこの作家の頂点の時期に描かれたものと言えよう。大型査を整形する裸の青年を描いたこの作品は,ブルーを基調色としながら,クールでかつ湿度を備えたタッチで人物を表現し,より重層的になっている。作品にあらわれた静誼さが青年の陶器製作に向かう静かな熱意を物語るかのようである。日本的な表現法がほとんど見当たらないが,早川|は白人男性画家と結婚したことでも理解出来るように,自らの出自に拘泥するよりも,より広く意識して地元アメリカ社会に溶け込み,芸術的にもそれを反映させたと言える。地元新聞には「この作品は,小さな宝石であり,人種,性差,偏見などの困難を乗り越える輝かしい達成である」と評されている(注24)。このように,戦前作に比べ,戦後作では,ブルーが基調色として取り入れられ,それが一種の静誼さに結び付いている。〈幼い男の子の肖像〉〔図10〕などにも,そうした戦後作の特質があらわれていよう。セザンヌから受けた感化はより消化されている。上記は油彩作品ばかりだが水彩や銅版など様々な媒体の広範な作品を制作している。こうした早川の一連の作品は,アメリカ国内においてもつい最近まで知られることなく眠っていたものである。8 まとめ一次調査を終えて米国西海岸における「日系人画壇」と呼ばれ得るものは,1920年代ころに誕生し,多くの画家が強制収容された大戦によって活動が寸断された(注25)。わずか20数年のことだが,米国西海岸の美術史には一章を裂いて紹介されつつある。そこに頻出する名前は,小圃千浦,日比松三郎,日比久子,ミネ大久保,上山鳥城男,芹津末雄,ヘンリー杉本などであり,日本側との視点の違いを感じさせつつも,着実に日系人の美術が評価され始めていることが実感される(注26)。-114-
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