鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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注(1) この渡米の時期については一般に明治44年(1911)とされているが,1910年のア(2) カリフォルニア・アーテイストの卓越したリストであるDewittClinton McCall III, California Artists 1935 to 1956, DeRu's Fine Art Books, 1981には,時代的なDustin publications, 1998などを参考にした。特にカリフォルニアのアジア系アメ(3) 寺田竹雄「野田英夫の回想」『美術手帖』第68号,1953年4月(4) カリフォルニア・スクール・オブ・ファイン・アート(CaliforniaSchool of Fine Art)は,「カリフォルニア美術専門学校J「加州美術学校」とも称され,日本人・Fransisco Institute)と称し,さらに1917年にカリフォルニア・スクール・オブ・フミキ早川もそうした一人であり,その重要性から,資料の整備に伴って再評価の光があたることであろう。実際に早川の絵画や芸術的歩みを見ると,資料や機会の不足のために不当に忘れられていた芸術家との思いを強くする。そのためにも今回の調査は重要な機会であった。まさにOから出発した今回の調査では,最低限の資料をそろえたにすぎず,作品を含めた早川のますますの研究が必要である。研究の過程で,海を渡った日本人たちの芸術の総体がさらに明らかになり,もうひとつの日本人美術史として普及されることを強く願っている。メリカの国勢調査(Unit巴dStates Census)によると,移民年月日は1908年となっている。限界なのか日系作家がほとんど含まれない中,ミキ早川は明記されている。その他,カリフォリニアの芸術家のリスト的なものとして,EdanMilton, Artist in Cali-fornia 1786 1940, Mughes Publishing Company, 1989,および概説的なものとして,NancyDustin Wall Moure, California Art 450 years of Painting & other madia, リカ人については,MichaelD. Brown, View From Asian California 1920 1965, 1992に多くを負った。日系人が多く在席した西海岸で最初の美術学校である。1874年の開設時は,カリフォルニア・デザイン学校(CaliforniaSchool of Design)と称し,その後1892年にマーク・ホプキンズ美術学校(MarkHopkins Institute of Art)に改称。1907年に火事によって校舎が臨時建設されたのを機に,サンフランシスコ美術学校(TheSan

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