鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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(1)「松に唐鳥図」佐竹曙山絹本着色縦173.0×横58.0〔図I〕(2)「湖山風景図」佐竹曙山紙本着色縦16.0×横24.5〔図2〕ることが少なかったのである。この事実は,わが国の絵画がその歴史の流れのなかで,中国の絵画におおむね拠らざるを得なかったことや,被写体を二次元の世界に変換する時わが先祖たちの極めて卓越した感性と技術による空間処理の産物であったこと等に起因するのではないであろうか。然らばなぜ秋田蘭画と呼ばれる1700年代後半の絵画において,空の描写を問題にしなければならないのであるのか。これまでは,秋田蘭画の評価基準が,透視画法,陰影法に代表される西洋画法と細密描写に象徴される宋元の一部の絵画に主に置かれていたのである。この基準は近代の萌芽をみる時やはり最も大きな要因であることには違いない。ここでは,それに加え,秋田蘭画の画人の眼には青い空が確かに青く映っていたことを画面に写しとり,それまでの狩野派や中国伝来の山水画等とは確かに一線を画した新鮮な画面構成を企てようとしたのではないかという新たな評価を与えてみたいがために,小田野直武や佐竹曙山の作品の[空]に注目してみた。佐竹曙山の代表作といってもよく縦が173.0センチ,横58.0センチの縦長の大作でもある。画面向かつて左下から右上に向かつて斜めに伸びる太い松の幹が描かれている。松の皮一枚一枚が線描で丹念に表され,地中から出た太い根から右横奥に帆船の浮かぶ湖水(あるいは海)がかすかにのぞんでいる。画面上には松の枯れ枝に赤い色が鮮やかだが体はやや平板なインコが止まっている。その枯れ枝が左上に極端な遠近感をだして伸びているのがおもしろい。さて,本題の空の描写だ、が湖水の対岸の山々に接した低い空は白く抜き,画面下三分の一程度から上はグラデーション気味に始まって薄く明るい水色の空がはっきりと描かれているのである。これまでのこの絵の進取性については,枝の遠近法,下辺部の湖水風景の遠近法と西洋銅版画にみられる細くこまぎれの線や幹の細密な描写であった。しかし,この画面で水の色より青味が強い空の描写がなかったら,新たな絵画としての魅力は色あせてしまうのではなかろうか。単なる余白の処理ではない青空の描写も秋田蘭画の画人たちの意識革命であったと考えるのである。前出の「松に唐鳥図jに較べたら縦が16.0センチで横が24.5センチのごく小さな作品だ。まるで後の亜欧堂田善の銅版画の大きさを思わせるようである。この小品の空の部分は,山の稜線から上は白く抜かれ,その白い空間に飛んで、いる鳥二羽を小さく-125-

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