鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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(2)「松に鷹図」紙本着色軸装縦55.5×横58.5〔図14〕出身の日本画家平福百穂が,直武一族の子孫の家に一枚一枚ぱらぱらに残されていた図をまとめ,一冊の帖に仕立てさせたものであった。図は猿が鷹に襲われているその瞬間を描いたものだが,描き方は狩野派の筆法で手本をみて忠実に写そうと試みたのか,生硬な描写となっている。画面左に「直武罵jとある落款も後年の直武の署名に較べると明らかに若く角張った文字で初々しい。おそらく,洋風画以前の初期作のうちでもごく早い時期の作例かと判断され,その落款の書体もこの時期の一応の基準と考えてよかろう。惜しいことに,帖に貼付するためか,あるいは傷みがあってのことかこの図は大きく裁断されているのである。ちなみに同帖の初期作はこれのみで,他には「蓮葉J「蓮の菅j「小鳥J「花の小枝J「草花」「時計草」「J11骨」など動植物の写生図に西洋版画の模写とみられる「婦人像j,直武の孫娘梅女筆「扇面山水図」などが収められている。直武の初期作の中でも生硬な筆致の「猿を捕らえる鷹j図にまでも,「直武Jと款記がわざわざあることから単なる余技ではなく絵師になるべくして習画に励んで、いたのではないかと思わせるのである。また,子の直林も絵を遺しているし,前出「扇面山水図jの存在を考え合わせると,直武の生活の中で絵の占める割合は高かったのではなかろうか。松の木の枝に鷹が止まっている図は,周知のように直武が生きた江戸時代の武家社会では好んで用いられたモティーフである。武家支配の社会を象徴しているとも言える鷹は,武人画家の直武にとっても避けて通れないものであったろう。この図に描かれた松は,型式化された文様のような葉の描写をみればまさしく粉本に拠っているのがわかる。この松に止まる鷹の描写といえばこれも鷹然とした描写で羽や腹の文様など手本通りのものだ。だが,この鷹をもっとつぶさに観察すると,ただ余技に絵を習っていたにしては過ぎたところがある。そのひとつは鷹の頭部の細密な描き方である。面相筆によるものと思われる細い線で繊細に表現されているのである。つぎにふたつ日としては,鷹の足の表現である。枝をしっかりと掴む鋭い爪の上の部分に注目すると,点々と突起した箇所を胡粉で盛り上げてから彩色しているのが目につく。これほど念入りに描きこんでいる様子からは,繰り返し主張しているのだが,直武はただの余技で描いていたのではないと考えていいのではなかろうか。絵の具や筆など画材の調達のことや絵をこれほどまでに本格的に描く場合には画室がなければなら

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